昭和の航空自衛隊の思い出(119)  副官というポストの不思議な魔力

1.副官というポストの不思議な魔力
 私が操縦学生・部内幹候出身で1等空佐まで進み各級司令部で勤務することができた原動力は、かって中部航空警戒管制団司令兼入間基地司令の山口二三将補と白川元春将補、さらには石井信太郎将補に副官としてお仕えした時代の影響があったと思っている。
 世に「薫陶」という言葉がある。広辞苑によると「香をたいて薫りを染み込ませ、粘土を焼いて陶器とする意・徳を以て感化すること。」とある。また、「薫陶を受ける」ということばがある。
 私の受け止め方は、それらを含めて、優れた高級指揮官・将官に副官として仕えたことが私の内面に、特別に司令から直接、教育・指導を受けたわけではないが、自然に大きな誇りとそれに恥じないよう向上していこうという気持ちが芽生え、自衛官人生において良い方向に作用したということであった。不思議な魔力であった。
 また、「補職は人を育てる」と昔からよく言われている。会社員であろうが、諸官庁の公務員であろうが同じであろう。ましてや自衛官・警察官・海上保安官消防官などの職務は顕著である。生命をかけた職務遂行と実力を有する集団・組織として行動する点からそのポストに就くことによって実力が磨かれ、大きく育っていくものがある。副官の配置も同様であった。
 こうした点から見ても、「副官というポストの不思議な魔力」が私のいろいろなものを引き出してくれたような気がしてならない。
 
2.   優れた将官から学んだ日常的なこと
 団司令部副官の役割は、団司令の庶務的事項を担当する。じかにお人柄に触れることができ、あらゆる面で学ばせていただいた。
 お三方の司令にお仕えして共通することは、公務多忙であっても日常的に人としてやるべきことを手際よく処理されていたことである。当たり前のことを当たり前に、しかも的確に実行されていたことであった。
 特に、感銘を受けたことは、高級幹部自衛官としての人格識見のほか、お客様を礼儀正しく遇する。私書簡があれば直ぐに返信する。友人を大切にする。お世話になった人にはすぐ礼状を出すなど上位の階級に進めば進むほどそれを深められたことである。過密なスケジュ-ルの中でこなすことは大変なことであるが、これを当たり前のこととして平然と処理されていた。
 この点は、強い感化を受けた。その後の私の自衛官人生に少なからず影響を与えた。それは自衛官在職間、これだけは実行しようと決心し、お世話になった人には必ず礼状を出す、手紙をいただいた方には直ちに返信するなど20年来忠実に実行してきたことである。
 その原点は、山口、白川団司令の平素の何気ない行為が、私の胸に深く響くものがあり、私に与えて下さった財産であると思うようになった。両閣下は私の心の教師であり、尊敬する将官であられた。
 
3.   お父様の「白川 義則」陸軍大将の墓苑 
  副官当時、航空幕僚監部からの帰途、「親父のところに寄ってみるか」とおっしゃり青山墓地に立ち寄った。一等地と思われるところに立派なお墓があり周囲は名だたる有名人の墓石が立ち並んでいる「警視庁墓地」であった。手入れが行き届きお花が手向けられていた。

 私の当時の知識は、お父様はお偉い方で「白川 義則」といい、陸軍大将、勲一等功二級男爵。 関東軍司令官・陸軍大臣を歴任し、上海派遣軍司令官であった1932年4月29日、爆弾テロ「上海天長節爆弾事件」で重傷を負い、翌月に死去されたと記録されている程度であった。

 副官を離れてから、後年、図書館で関連の著書等資料を読み日本を取り巻く内外の情勢を勉強することに繋がっていった。

 

4.   いつも「元気にやっているか」

   白川司令は、中部航空警戒管制団司令兼入間基地司を離任されてから、数々の要職を歴任された。離任に当たり、「空幕に来た時は顔を見せてくれ」といわれていたので、航空幕僚副長、航空幕僚長であられた折、私が航空幕僚監部へ出張した時は、恐る恐る副官室に顔を出し副官に告げた。約束通りどんなに公務多忙の中でも、ニコニコされて迎えてくださった。

 航空幕僚副長で全部長と懇談しておられるときなどは、私が副官室に訪れるや副官から耳打ちされてか、一時話を中断して、「入間の時の副官だ」と並み居る将官に紹介して下さり恐縮したことがあった。

 豪快にふるまわれる中に、過密の部隊視察の折でも、必ずといってよいほど呼び込みをされた。その心づかいに感謝感激したものであった。統合幕僚会議議長を辞されてから、後年、私が空幕人事課の1佐班長のとき、防衛庁を来訪された折は、一緒に食事をしようと誘ってくださった。

 私の定年退官後も浜松基地の諸行事でお会いすることがあった。このようなことから白川閣下には、末永く見守っていただいた。団レベルの副官という小さなポストが私に大きな転機と幸運をももらたしたように感じている。

 

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 《 中部航空警戒管制団司令兼入間基地司令当時の白川元春将補、昭和42年7月16日着任された。1918年(大正7年)1月2日~- 2008年(平成20年)8月18日)、陸軍航空士官学校卒業(51期)、 陸軍大学校(58期)、第11代航空幕僚長、第8代統合幕僚会議議長。 男爵陸軍大臣・白川義則の三男。》

 

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《 中部航空警戒管制団司令部副官(2尉)として、中部航空警戒管制団司令兼入間基地司令にお仕えした。》