昭和の航空自衛隊の思い出(116) 故山口二三将補の「追薫」(2)

1.   航空幕僚長大室孟空将及び陸士49期生代表春田廉治氏の弔辞

    山口二三将補の「追薫」の中に、故山口二三将補の葬儀における航空幕僚長大室孟空将及び陸士49期生代表春田廉治氏の弔辞が収められている。

    山口将補のすべてがこめられており、当時中部航空警戒管制団司令兼入間基地司令の副官としてお仕えさせていただいたものとして、今日拝読しても万感胸に迫るものがある。

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2.   航空幕僚長大室 孟空将の弔辞

 

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3.  陸士49期代表春田廉治氏の弔辞

 

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 4.   故山口二三将補のご霊前に捧げられたバッジ・システム運用開始の御報告

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《 故山口二三将補のご霊前に捧げられたバッジ・システム運用開始の御報告 》

 

 5.    故山口二三将補が心血を注がれたバッジ全防衛区域同時運用開始の写真

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《 写真は航空自衛隊20年表から転載、私が中警団司令部副官として山口司令にお仕えしたときの副司令は島田正春1佐であった。島田副司令は「追薫」の「山口さんの事」の中で、「山口さんが命をかけた我が国の自動警戒管制組織(バッジ・システム)の建設は、他の先進国に例を見ない順調な経過をたどって見事に完成した。昭和44年3月26日、防衛庁長官を府中の航空総隊司令部作戦室に迎えて、バッジ・システムの全面運用開始のスイッチが入れられた。奇しくも私は同司令部監理部長としてその準備を進め、その瞬間に立ち会うことになった。」と記されている。山口司令と島田副司令は名コンビだと日ごろから思っていた私は、この記録写真の中に島田元副司令がおられるのを拝見し、人の因縁をつよく感じた。右端が島田監理部長 》

 

6.   自決の前日に出された退職願

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 《 「追薫」で、大室航空幕僚長は、弔辞の中で「あの前日、職を賭して責を負うことを申しでた君に対して、さらによい指導の方法はあった筈だと悔やまれてなりません」と述べておられる。島田正春副司令の「山口さんの事」の中で、「文面は確か、今回のこと、小官の不徳の致す処、ご迷惑をおかけし、申し訳なし。一死もって深くお詫びいたします。」と望月金蔵氏(山口さんの長女の嫁ぎ先のお父様)の「追憶」に「私の不明不徳誠に申し訳なく、一死もって深くお詫び申し上げます。」と大室航空幕僚長あての遺書があったことを認めておられる。》