昭和の航空自衛隊の思い出(115) 故山口二三将補の「追薫」(1)

1.   故山口二三将補の「追薫」

   昭和57年3月、故山口二三将補の「追薫」が「山口二三を偲ぶ会」の企画編集により一冊の本となって発行されました。

 故山口将補の「追薫」がまとめられるにあたり、令夫人千鶴子様のお気持ちが込められた「はしがき」には万感の思いがこめられています。自決をされた当時の新聞や週刊誌は大きく取り上げそれはそれは騒々しいものでした。報道された当時の新聞の切り抜きの一部や週刊文春の記事があります。

 静かな歳月を迎えられるようになり、お子様たちも立派に成長され、お孫様たちも御祖父さまのお話を尋ねられるようになり、令夫人のご希望により企画編纂されたものと伺っております。

 かって山口将補の副官としてお仕えしたものとしては、何もできることはありませんでしたが、いつも第一線の部隊勤務にあって陰ながら心配してまいりました。パ-ティ等の折は、令夫人を自宅まで司令車でお迎えしたことがあり、山口将補がお亡くなりになられてから入間基地在任間の写真集をお届けしたり、手紙をさしあげ御返事をいただいたこともありました。

 この「追薫」は、山口将補が突然この世を去られてから13年後に関係者のご尽力でまとめられたものであります。

   いみじくも、山口千鶴子令夫人は、この「追薫」の「はしがき」で「追薫は亡き主人の分身のように思われる、表紙も航空自衛隊の制服の色にされた、出版は最高の喜びでございます、亡夫の清らかな魂は私の内に生き続けております」と記されております。夫婦の情愛が満ち溢れるものでした。

2.  副官としてお仕えした回想

 私も80歳・傘寿を迎え、ブログで副官当時を回想するにあたって、手元のこの「追薫」を幾度となくも読み直し涙しました。まさしく私がお仕えした山口司令がどんなに偉大な方であられたか、いかに山口閣下が旧陸軍時代からの逸材として嘱望され、人格識見に優れたお方であったか改めて身が引き締まる思いでありました。

 玉稿を寄せられた方々は、当時、航空幕僚長をはじめとして航空自衛隊の中枢にあられた重鎮の皆様でした。どの方も私が中部航空警戒管制団司令部副官として山口司令にお仕えしたとき、司令室への来訪はもとより電話‣信書などで存じ上げる方ばかりでありました。

 最前線の峯岡山レーダーサイトから出てきた要撃管制官の若造で、部内幹候出身の分際でありながら光栄にも副官としてお仕えさせていただきました。

   未熟者で不充分な働きであったにもかかわらず、暖かく育ててくださったことが、その後の私の自衛隊勤務に有形無形に役立ち後押しをしていただき、見守られながら充実した自衛官生活を送ることができました。

   平成2年4月定年退官に際しては、夫婦共々在りし日の山口二三将補を偲び、ご加護を頂いたことに感謝感激の極みでありました。あの当時副官としての立場からつたないものであっても回想を御送りすればよかったのではないかと思うことがありましたが、私にとってはあまりにも高級幹部に交じってとの思いの方が強く、わが胸の内にしまいこみ、遠慮したことがよみがえってきました。

 この「追薫」は、山口閣下のすべてを凝縮した内容であり、きっとご子息等ご親族の皆様のお一人お一人の心の中に受け継がれるものと存じます。

 3.   「追薫」における奥様の「はしがき」と表紙

  山口二三将補を偲ぶ「追薫」の奥様の「はしがき」は、短文の中に万感の思いがつまっており、読むほどに身に迫るものを感じる。

f:id:y_hamada:20150324232722p:plain

f:id:y_hamada:20150324232810p:plain

 

f:id:y_hamada:20150324122946j:plain

 《 「追薫」の「はしがき」と「表紙」》

 

5.   在りし日の山口団司令と令夫人の短歌

 

  f:id:y_hamada:20150325192432p:plain

 《 中部航空警戒管制団司令兼入間基地司令時代の山口二三将補と千鶴子令夫人の短歌、令夫人は踊りは藤間綾乃、短歌をたしなまれた。 》