こころのふるさと(26) 羽合中学の卒業文集をめくって(3)

1.羽合中学卒業記念文集「おもいで 」

    昭和23年4月から26年3月まで、鳥取県の中部に位置する羽合町(現在、合併によって「湯梨浜町」となった。)の羽合中学校へ生まれ育った宇野から毎日4キロほど離れた中学に徒歩で通った。

   中学時代のもので残っているものは、記念写真と卒業時の文集ぐらいである。今の時代であれば、デジタルでいくらでも記録することができるが、昭和20年代は写真屋さんで撮ってもらう意外になかった。さすが写真屋さんだけあって、白黒ではあるが何十年たっても古びても残った。

 文集はさすがに古びてバラバラになりそうである。ざら紙は変色したが、中学生時代に残したもので、内容はともかくどんなことを考えていたのか読み直してみるとおもしろい。全員が卒業に当たって短い文章を綴っており、内容を見ながら卒業写真の顔を探して、読んでみると中学生時代がおぼろげながら思い出される。

 どこの学校でも毎年こうした文集や写真帖を作成しているであろうが、70年近くなると懐かしさを越えて、追悼記を読むような感じとなった。

 この文集が優れているのは全員のものが載っていることだ。当時の校長先生はじめ教職員の手間を厭わなかった素晴らしい企画であったように思う。いつの時代であってもこうしたものは諸先生のご尽力と指導で残っていくものであるようにで思われる。

 今読み返してみると、こんなことがあったのか、こんなことを考えていたのか、文章は固いがまともなことを言っているなぁと気恥しい思いである。人間って歳をとっても本筋になるものは変わらないものだと感じた。

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《  昭和26年3月羽合中学校卒業記念集、昭和20年代であるためしみがついたりしてきた。バラバラになりそうなくらいだが、内容は立派な文集である。  》 

 

2. 生徒と先生

 私にとって、小学校・中学校で教えを受けた先生はいつの時代、いくつになっても「恩師」である。学校の先生は聖職者といわれた。いつの時代も親は親であり、先生は先生である如く、本質は変わっていないにもかかわらず、おかしな時代になってきた。本当にふつうごくあたりまえの普通になるのはいつであろうか。

 羽合中学の卒業文集「思い出」には、当時の先生が全員登場されているが、担任先生に的を絞ることにした。

 鈴木治文先生(故人)と洞ケ瀬二一君、絹川初春先生(故人)と大口富美子さん、秋久憲忠先生と松村喜一郎君(故人)、小矢野正彦先生(故人)と浜崎延博君(故人)です。

 

3.   大口富美子さんの「絹川初春先生の横顔」 

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 《 大口富美子さんの「絹川初春先生の横顔」、文章の末尾が切れてしまい申し訳けなし。 》

 

4.  絹川初春先生の卒業生徒へ贈る言葉

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 《 絹川初春先生の卒業生徒へ贈る言葉、絹川先生は中学3年の時の担任であった。物静かな先生で郷土史の編纂で活躍された。2年生の時に次いで、再びクラスでは選挙によるホーム・ルーム委員長(学級委員長)に選ばれたりした。絹川先生はすでに鬼籍に入られた。御冥福をお祈りいたします。》