昭和23年4月から26年3月までが中学生時代である。鳥取県の中部に位置する羽合町(現在、合併によって「湯梨浜町」となった。)の宇野で育ち、4キロほど離れた羽合中学に通った。
最近、身辺の整理をしていて、気づいたことがある。自分にとっては宝物のようなものであっても、家族にとってはただの紙屑でしかない。そこには共通の思い出がないからであろう。理解がないのではなく、よく考えれば当然のことでやむを得ないことである。高齢になるとこうしたことが日常茶飯事となるであろう。
幼児の頃の写真類は全くない。小学校の入学と高学年の時の2~3枚だけである。中学時代となると写真や古びた「思い出」集などの資料が残っている。ほんの僅かの資料でも私にとってお宝みたいなものだ。
1.羽合中学校歌
《素晴らしい校歌である。全校生徒で歌ったことが思い出される。一枚の紙にも子供の頃の思い出が詰まっているものだ。この歌詞を見ただけで少年の頃が思い出されるから不思議なものだ。》
2.羽合中学応援歌
《 出し惜しみせず、すべてを出し切って応援した。これが中学時代のすべてを物語る。》
3.羽合中学第4回卒業生
《 昭和25年、羽合中学3年卒業記念写真、歳をとると名前が思い出せないことがあるが、これだと名前を見ただけで子供の頃のそれぞれのが思い浮かぶものだ。》
4.修学旅行
《 羽合中学2年時の修学旅行・アメリカ博覧会の見学、大都会の様子やアメリカのすごさが少年時代のの心に強く残った。 》
5. 羽合中学同期会 (平成5年大阪で行った時の資料)
《 羽合中学校第4回卒業生(昭和25年度)の大阪での同期会、 幹事の一人尾崎郁代さんのアイディアにより作成されて配付された資料、思い出のピックアップで中学時代の数々の出来事が思い出された。》