浜ちゃん日記  向こう三軒両隣

 先日は、自治会隣保班の班長引き継ぎ会があった。地域の地縁団体である自治会の下部組織として部があり班がある。自治会の運営上必要不可欠なもので、有効に機能している。

 昭和30年に神原町が誕生して以来、班内の世帯数は時代により増減はあるが連帯感をどのように保っていくかは町の発展につながる大きな要素であることに変わりはない。

 一つの町はそこに住む町民によって成り立っている。家族は世帯を成し、数個世帯が班を成し、数個班が部を成し、自治会を形成する。3.11に見る如く、 安全・安心のまちづくり(コミュニティ)のキーワードは、「近助・互助・共助」であり、住民の連帯・絆なくして町民・町の発展はないであろう。

 住民の意識・価値観がどんなに変わっていっても自分の町をよくしたい、住みよい町にしたいという気持ちは同じではなかろうか。

 班会に参加しながらこうした点から発展する町であることを確信した。私がかって 自治会長として自分なりに町民から託された職務に一生懸命精進したのもそれに他ならない。

 こんなことを考えながら、子供の頃JOAK(NHK)ラジオから流れる「向こう三軒両隣」を聞いたことがよみがえった。

 ネットで調べてみると、それは「隣組」と云う歌だ。この歌詞はよく覚えている。 「隣組」(昭和15年)
 ♪ とんとんとんからりと 隣組
   格子をあければ 顔なじみ
   まわしてちょうだい 回覧板
   知らせられたり 知らせたり  ♪

 一方、昭和51年から52年にかけて「欽ちゃんの向こう三軒両隣」がバラエティ番組として放送されたことがある。これは、3軒の家を1チームとし、2組計6軒の家庭が競ったものである。

 三省堂大辞林によると、 【向こう三軒両隣】は「自分の家の向かい側にある三軒の家と,左右二軒隣家日頃親しく交際している近隣隣組単位ともなった」と記されている。

 大東亜戦争と結び付けて「隣組」「隣保」「向こう三軒両隣」という言葉を嫌う人もいるが、町民の連帯・絆の本質・中心をなすものは「隣組」「隣保」「向こう三軒両隣」ではなかろうか。