昭和の航空自衛隊の思い出(106) 人生最大の危機を乗り越える

1. 人生の無常と信念等の確立

    昭和30年6月航空自衛隊に入隊し、第1期操縦学生として進むも操縦課程の途中で操縦適性面から断念・挫折、新分野に転進し再起した。

   その後、34年に縁あって、浜松生まれの女性と結ばれ家庭を持ち、初級幹部となり、要撃管制幹部としてこれからという矢先に、37年3月妻は第一子出産後、産後の肥立ちが悪く、あっという間に逝ってしまった。26歳の若い時代に人生の無常と人の運命のはかなさを味わった。普通ある程度歳をとってから味わう苦難を突然に背負うことになった。

   昔から女性にとって出産は大仕事であり、難事であることは承知していたが、病院での出産と療養であったことから妻の死といったことは全く考えたこともなく、心の準備もないところの出来事で衝撃であった。私の人生においに最初にして最大の危機であったが、親戚縁者をはじめ多くの皆さんの協力支援で乗り越えることができた。

 このことにより家族を失うことの悲しみと人の痛みなど人一倍思いやる心を強く感じるようになった。長い人生航路の本格的な出だしで大きな苦難が立ちはだかった。操縦学生として大空への夢の挫折、妻の急逝などを経験したことが、これをばねにして、精神的に人一倍強くなり毅然として人生の荒浪に立ち向かう強固な信念・物の見方・考え方を持つようになった。

   こうした人生の試練を経て、その後、再び安定した家庭生活を営み今日に至っている。夫婦も結婚50年・世にいう金婚となった。80歳を迎えた今日、振り返ると、あらゆるもののご加護により、若い時代の試練を何とか乗り越え、踏みとどまることができたように思う。感謝あるのみである。

    今では、苦しみもがいた日々が「そんなこともあった」と笑って過ごすことが出る歳になった。若い時のそれらの苦しみが私を逞しく鍛えてくれたのではないかと思っている。

2.  時が悲しみや痛みを和らげてくれる。

 人の一生においては、いろいろな辛いことに直面する。すべての試練は自分で立ち向かい解決する以外に道はない。他人にぶっつけてみても解決しないからである。解決の最終カギを握るものは自分自身であり、自分の心にある。

 その悲しみや心の痛みはどんなに急いでも癒すことができないものである。特効薬は存在しない。他人によって癒されるものでもない。幸いに人間には時間というものがある。時が自然に悲しみや心の痛みを癒してくれる。そこには理屈はない。

 この世の中には、時が経っても癒せないことと、癒すことができる二つに分けられるように思う。

 多くの場合、時が経たないと癒すことができない事柄がある。不思議と時が経つと多くのものは少しづつ癒され解決していくことがあるものだ。

 人は生きていかなければならない。生きていくためには、次に進んでいくことも大事であろう。

3. 亡くなった者の悲しみと痛み

   人間というものは勝手だ。自分の悲しみや痛みは訴えるが、ふとすると、残されたものが一番不幸であるように思うが、当事者である亡くなった者の方が実は一番悲しみや残念さを感じているはずである。それを語らないから知ることができないでいる。語らず知ることがないからおろそかにすることがある。

 人は供養という形で弔うが、当人の悲しみや痛みを感ずることができない。霊魂も姿形がないだけに知ることができないもどかしさがある。

 だが、弔う気持ちがあればそれでよいのではなかろうか。それしかできない。よく草葉の陰から見守っているといわれる。まさにその通りであろう。親兄弟も妻や子供・孫たちもそうであろう。早く逝ったものが、生きているものを草葉の陰で支えていてくれているのではなかろうか。残されたものが幸せに暮らすことが最高の供養になるのではなかろうか。

 人間の世界は「生まれたら最後は死んで行く」「生あるものは必ず死す」その哲理にいささかの変化もない。その繰り返しである。古今東西、人類の歴史が始まった時からその繰り返しであろう。これが人間である。

 生きとし生けるものの宿命であるとはいえ、長寿を全うした者は心安らかに生涯を終えることができるであろうが、若くして生きたくても生きていけなかった者もいる。

   天命とはよく言ったものである。運命には逆らえないが、命ある限り精いっぱい生きたいものだ。そして、亡くなった者が一番悲しみと痛みを持っていることに思いを馳せることを忘れてはいけないと思う。