昭和の航空自衛隊の思い出(104 )  任地先の土地に惚れる

1.親せきを招く 

 自衛官生活を有意義に過ごすには家族ともども、勤務地に文句なしに惚れるということであろう。勤務地は自ら選べるわけではないが、新任地に馴染みその土地の魅力を掴み惚れることである。

 私が昭和36年9月初勤務したところは南房総の峯岡山分屯基地で居住したところは安房鴨川であった。初任地が南房総の風光明媚なところとなると宣伝したくなるのは人の情というものである。

    鴨川での生活が安定したところで家内の母親たちを招き、名所旧跡を案内した。後年、私の母親も招くことができた。実任務に就いての自衛隊転勤族としての始まりは、この房総から始まったのでことのほか印象に残っている。

 自衛官としては、特別なことはできなかったが、新しい任地に親戚を招き官舎に滞在してもらって周辺の観光を楽しんでもらった。皆からよい保養ができたと喜ばれた。

2.  立つ鳥は後を濁さず

 峯岡山の5年間に、諸事情で5回も転居した。後年、転勤に伴う転居の要領等にいて高いレベルに達したが、新米の頃は要領を得ず試行錯誤であった。一年間お世話になったのでそれなりに綺麗にしていく配慮が必要であったがそこまでは心づかいができていなかった。要するにその心がけは「入居した時より退去の時は綺麗にしていく」ということである。

 今でも若いころを思い出して、こうした心がけが足りなかったのではないかとほろ苦い思いをした。転勤を重ねているうちに「立つ鳥は後を濁さず」とはどんなことであるかよく分かってきたので、入居した時より綺麗にして退去していった。

3.   その土地に惚れる 

 自衛隊勤務で各地を転勤するたびに、その土地の良さに惚れた。住めば都ではあるが、その勤務地ならではの良さがあるものである。自衛官の多くがそんな思いで転勤していたのではなかろうか。その土地に惚れると一層生活が楽しくなるものである。

 温暖な南房総では、花畑を楽しみ、太平洋の潮風を浴び、緑豊かな渓谷に遊んだ。歴史を学ぶこともできた。厳しかった勤務はいつの間にか忘れて、鴨川の海岸・漁港・誕生寺・鯛の浦・清澄寺・仁右衛門島・九十九里などの海岸線などその土地の良さだけが思い出に残っている。自然は人の心を癒し勇気づけてくれるものである。

 その土地ならではの独特の名物などに親しむことができた。後年、春日基地では博多人形小松基地では九谷焼などと、任地の名物を購入し贈り物をしたりした。

4. 眼下の平安の町々と漁火に感じたもの

 レ-ダ-サイトは当然にその地域の高い山に設置される。実任務に就いた航空自衛隊峯岡山分屯基地は、千葉県最高峰の愛宕山(あたごやま、408.2m)にあった。麓には牧場があり自然に恵まれた山野があった。

 今では自分の車で家族を連れて自由に付近を巡ることができるが、昭和30年代の後半はまだ家庭に乗用車を持つ者が少なく、米留組の1~2名が自家用車を持ち珍しがられた時代であった。従って峯岡山分屯基地への往復は自衛隊車両のみであった。

 眼下に見下ろす風景は、昼間も素晴らしいが、深夜の勤務交代の折に眺める光景は一種独特の眺めで忘れ難いものがあった。目の前に広がる平穏な暗夜の町並みをみて、実任務に就く「自衛官の自覚」と「最前線で守りについている」との高揚感と使命感が深まる一方、太平洋の漁火は何とも表現しがたいものであった。