昭和の航空自衛隊の思い出(101) 冬期の過酷な勤務環境の一端

  昭和36年9月から 峯岡山レ-ダ-基地に勤務していた間、お隣の福島県の大滝根山レ-ダ-サイトの業務支援に出かけたこともあった。交差訓練で他のサイトに数日間滞在することはあっても研修でありどちらかというとお客様であるが、業務支援となると20日前後の出張であり、他基地の状況をつぶさに経験し冬場の厳しい勤務環境を体験した。

 冬季におけるサイト勤務・第27警戒群の交代制勤務においてクル-の一員となって勤務した。冬場の勤務は温暖な峯岡山勤務と比較にならない厳しさを体験した。

 厳しい勤務には、それに倍加した楽しさがあるものである。そこに勤務した者だけにしかわからないものだ。50年後の今日は隊舎一つ見ても恵まれた環境であるように見えるが、24時間態勢の厳しい任務であることは今も昔も変わりないであろう。黙々とわが国の平和と独立の使命に燃えて任務に就いている後輩達の姿が目に浮かぶ。

 昭和41年5月、中部警戒管制団司令部副官に配置され、中警団司令兼入間基地司令の副官として、隷下部隊の視察に随行し、全レ-ダ-基地、とりわけ冬季の厳しい勤務環境を確認する機会を与えられた。後年、この経験が上級司令部人事幕僚としての人事施策の立案と実行に生きてきた。

 

 大滝根山分屯基地ホ-ムぺ-ジから転載 (出典)

 基地紹介

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任務

国産三次元型レーダー、通信機器等を装備するレーダーサイトとして、我が国に侵入する弾道ミサイルや航空機に対し、24時間態勢でレーダー等による警戒監視及び戦闘機の要撃管制を実施すること等を主な任務としています。

大滝根山の気象
 低温、強風の山岳的気象が特徴で、夏期は比較的低温で過ごしやすい(過去10年間の8月の平均気温は18度)反面、冬期には道路や各施設の凍結や着氷が激しい状況(過去10年間の2月の平均気温は-5度/最低気温は-18度)の中で、任務、訓練等を遂行しております。

沿革

大滝根山分屯基地は、昭和29年11月、福島県南相馬市(旧原町市)に駐留していた米空軍警戒管制部隊の中に航空自衛隊東部訓練警戒隊が発足し、日米の両部隊が、当大滝根山に展開したことに始まります。

  • 昭和30年米軍警戒管制部隊大滝根山に展開
  • 昭和31年航空自衛隊大滝根山に部隊移動
  • 昭和34年米軍から航空自衛隊に移管
  • 昭和36年第27警戒群に改編
  • 昭和47年三次元レーダー(FPS-1)運用開始
  • 平成 7年新三次元レーダー(FPS-3)運用開始
  • 平成18年創設50周年
  • 平成20年FPS-3改(能力向上型)

- Photo Album -

 阿武隈山系の最高峰

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那須連峰、磐梯山、安達太良連峰、360度の大パノラマ。遠く太平洋の碧水まで望むことができます。》

   

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《大滝根山基地 庁舎全景》

 

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 《 5月からは『つつじ』が見頃》

 

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《2月の平均気温は-5度》

 

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《冷え込みが厳しいときは-10度以下》

 

 

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《夜間濃霧に包まれた翌朝の晴れ間は美しい》

 

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《常続不断のレーダー施設》

 

 昭和38年ごろの大滝根山分屯基地

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 《 大滝根山は、標高1192mで 阿武隈山系の最高峰、かまぼこ隊舎地区からレーダー施設を眺める。かまぼこ隊舎であったが暖房がよくきき室内は快適であった。一歩外に出ると自然の厳しさがあった。》

 

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 《 眼下を見下ろす 》

 

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《 昭和30年代の輸送機はc-46が主力であった。遠隔地へ交差訓練は千葉の鴨川から入間基地へ向かい、基地内に一泊して、翌朝c-46に搭乗し最寄りの航空基地に行き、そこから鉄道で目的地のサイトを目指した。》