昭和の航空自衛隊の思い出(94) 防空演習、戦力評価

1.統裁部フエイカー係

    昭和30年代後半の航空警戒管制組織は手動時代であ、半自動へ移行する準備が進んでいた。要撃管制官として一人前になり張り切っていたころ、どうしたわけか方面隊レベルの防空演習(ADX)のフエイカー係を命ぜられた。先輩の要撃管制官が並み居る中で指定された。この役目は統裁部の一員として参加し、オペレ-ション室で仮設敵機であると宣言する重要な任務を与えられていた。

 主として他サイトへ行ってその役目を果たすこともあった。その現場で封書を手渡され開封して初めて諸元と航跡図を知る仕組みで、間違って他の航跡を仮設敵機と宣言でもしたら演習を台無しにすることもあり、その瞬間に的確に判断して宣言する必要があった。

 演習部隊の防空指令所(DC)監視用のレダ-スコ-プの横に位置して、航跡が発見・確立されると同時に間髪を入れず宣言することであった。状況が錯綜した緊張したオペレ-ションであったが、こうした点では若い時から度胸が据わっていた面があったので、躊躇することなく高らかに宣言したものである。

 統裁部フエイカー係に任命されると、交差訓練とは違った点からいろいろな面で他のサイトの状況を見聞できることが大きな収穫であった。統裁部の一員ということで演習構成等の一部を学ぶことができた。さらには上級の要撃管制官に接することができて刺激を受けた。これらが私の自衛官としての自信と識見を高めるうえで役立った。

2.戦力評価

 自衛隊は実力部隊であり、いついかなる時でも国民から託された任務を完遂できる能力を保持するよう努めるのは当然の責務である。世界の軍事組織はどこでも同じである。

 当時、創設期の航空警戒管制組織(AC&w)は、組織造成の段階にありしばしば戦力評価(Tactica evaluatin check・日常的に「TAC EVA」と言っていた。)が行われていた。個人及び部隊の任務遂行能力の程度を判定することであった。  

 航空警戒管制部隊にとっては、手動主体の航空警戒管制組織は、毎日の勤務が即実任務であり、常に防空戦力評価を受けているようなものであったが、どんな事態にも対応できるようになるには、通常の業務をこなしながら一に訓練・二に訓練・三に訓練であり緊張感があった。

 戦力評価を受けることによって、有事に何が必要なのか骨の髄まで知らす知らずに体得していたように記憶している。当時、防空演習(ADX)、作戦即応態勢(ORI)などを受けるにはサイト長以下が一致団結してあたらねばならず、こうしたハ-ドルを克服するたびに強い一体感も生まれたものだった。

 若い時代のこうした体験は、後年、上級司令部の検閲団、監察団の一員として、主として人事管理、勤務管理、服務などの担当補佐官として活動するときに生きてきた。常に有事即応の態勢を維持する自衛隊の本質に変わりはないであろう。時代が変わり、自衛隊の任務が広がり、装備機材が近代化し、運用方式等が変わっても、常に「任務を完遂する精強な部隊づくり」はいささかの変化もないであろう。