昭和の航空自衛隊の思い出(92) 交差訓練による交流

1.サイト等の研修

 昭和30年代、要撃管制官(通常、「GCIO」あるいは「コントローラー」といっていた。)は技量保持向上のため年間の交差訓練基準に従って、飛行部隊の研修、他区域の警戒管制部隊の研修があった。この制度は井の中の蛙にならないで非常に視野を広める訓練で効果があった。

 交差訓練の予算の制約もあったが、警戒管制部隊に関しては、運用・訓練体制や要撃戦技など学ぶことが多かった。また勤務環境等を見たり、情報交換のほか膝を交えて要撃管制官達と交流をしたものであった。

 交差訓練先の部隊に部内同期の要撃管制官が勤務しているときは、業務を終えてから旧交を温めることができた。各地の厳しい自然環境や勤務環境にあったが、みんな創設期における要撃管制の練磨に燃えており、若かったせいか張り切っていた時代であった。

2.スクランブル飛行隊等の研修

 関連の航空団飛行隊に出かけて、飛行隊の現況はもとよりパイロットとの交流を図った。パイロットもコントローラーもミッションでは固有のナンバーを交わすだけであり、相見えて顔と名前を確認することがあった。

   その折は、アラ-トの状況やジェット機に同乗し、要撃管制に関する指令と実機の動きなどを経験して、自分の発する指令がどのように受け入れられて機動していくのか、相手機がどのように見えるのかなどを体験したりした。

   その点、第1操縦学生として操縦訓練をした経験が生きてきた。レシプロ機とジエット機の違いはあるが、操縦者の立場で物事を考え、戦闘機の飛行特性と機動を体験することができた。これも要撃管制官にとって成果のある交差訓練であった。

3. 米軍パイロットとの交流

   米軍横田基地 の飛行隊を研修することもあった。広大な住宅地区、飛行部隊の一端を見ることができ驚くことが多かった。

    パイロットと懇談したり、諸施設も見学して米空軍の様子を垣間見た。

4.航空生理訓練 

    要撃管制官はジエット戦闘機に搭乗することがある。それは要撃管制をするうえで戦闘機の飛行特性と空中機動を体験することによってより的確な要撃管制の指令ができるからである

 そのため、ジエット戦闘機に同乗するには所定の航空生理訓練を修了することが必須であり、立川の航空医学実験隊で訓練を受けた。

   航空生理訓練は、航空機に搭乗する者に対して、飛行の人体に及ぼす影響及び高高度飛行に対処する方法を教育して飛行任務中における心身機能の効果的な維持及び発揮を可能ならしめることにより、飛行安全寄与するものである。

 要するに、「航空生理訓練」は、飛行安全のために搭乗前に行う訓練であり、飛行が人体に及ぼす影響や障害に対する対策を学ぶものである。訓練は、座学と実習があり、座学では 「航空生理学」 で解剖生理や低酸素症などを、「脱出保命」 で脱出装置などについて学んだ。実習では 「低圧訓練装置」と「瞬間減圧装置」の中で行われた。

 訓練では高高度と同じ気圧や低酸素症を実際に体験した。特に今日に至るも印象に残っているものは、次のことであった。

低圧環境における低酸素症の兆候と症状を体験したことであった。低圧室内の高高度環境下で酸素マスクを外すよう指示された。酸素マスクを外しで数字を書いているうちにどんなに頑張っても数字を間違えたり、メロメロの文字しか書けなくなるなど酸素が薄くなるとどのような状態になるのかなど体得することができた。

❷急減圧で一瞬にして室内が真っ白になるのを体験した。与圧系統の故障や機体の破損が発生したら急激にどのような状態になるのかを理解することができた。

   こうした訓練を受け、高高度における酸素障害、与圧などを理解してジエット機に同乗する資格を取得した。