昭和の航空自衛隊の思い出(87)  首都圏の空の防衛・峯岡山サイト勤務

1. 峯岡山における初のレ-ダ-サイト勤務
 昭和35年12月から36年9月までの10か月間、管制教育団に所属し、要撃管制幹部課程に教育入隊するも 修了し、36年9月20日、中部航空警戒管制団第44警戒群勤務となり着任した。監視管制隊に配置され、いよいよ要撃管制幹部として、首都圏の空の防衛の最前線に立っことになり胸が高鳴った。
 新勤務地の航空自衛隊峯岡山分屯基地は、千葉県最高峰の愛宕山(あたごやま、408.2m)を中心として、第44警戒隊が所在し、防空指令所(DC)の役割を担っていた。当時、峯岡山分屯基地は昭和35年7月アメリカ空軍から航空自衛隊がレ-ダ-基地を引き継いで1年2月程経った頃であり、本部庁舎を含めて多くの建物がかまぼこ兵舎などであった。
 昭和39年4月には第1高射群指揮所運用隊が編成されて(陸自から移管)所在した。その後、時代を経て改編により、第44警戒隊及び第1高射群指揮所運用隊峯岡山派遣班となり今日に至っているが、「首都圏の空の防衛」のサイトであることに変わりはない。
    第44警戒群には、昭和36年9月から41年5月まで勤務した。当時の群司令は、第7代宮嶋正夫2佐(36.8~37.12)、第8代中村剛人2佐(37.12~39.8)、第9代上原惠次2佐(39.8.~41.7)であった。
 
峯岡山分屯基地 のホ-ムぺ-ジによる基地写真と基地沿革の歴史(出典)
 
 
 歴史
  • 昭和28年 6月  アメリカ空軍によりレーダー建設開始
  • 昭和30年 3月  アメリカ空軍第9031部隊として展開
  • 昭和35年 7月  アメリカ空軍から自衛隊へ移管
  • 昭和36年 7月  第44警戒群と改称
  • 昭和39年 4月  第1高射群指揮所運用隊編成(陸自から移管)
  • 平成 4年 3月  第1高射群指揮所運用隊峯岡山派遣班に改編
  • 平成12年 3月  第44警戒隊に改編

部隊紹介

中部航空警戒管制団 第44警戒部隊

 中部航空方面隊隷下のレーダーサイトとして、主に関東地方周辺の空域を24時間態勢で警戒監視しております。

 

第1高射群 指揮所運用隊 峯岡山派遣班

 入間基地に所属する指揮所運用隊から、首都圏に展開する各高射隊の間を移動無線中継器を使用して無線中継を行っています。

 

2.新人要撃管制官として練成訓練

    着任するや監視管制隊に配置となり、日勤で要撃管制官としての特訓が始まった。 実任務に就くためには早期に初級資格を取得することが当面の目標であり、そのための要撃管制訓練が待っていた。それからは寝ても覚めても夢に出てくるぐらい、シュミレ-タ-と実機による要撃管制訓練を続けた。

 空中における要撃管制訓練は、パイロットにとっても、コントロラ-にとっても1回、1回のミッションが真剣勝負で失敗が許されず、練成に要する経費も相当なものであり、貴重なミッションであった。当日朝、ミッションが割り当てられると飛び上がるほど嬉しい反面緊張もした。

 航空基地から離陸した戦闘機パイロットから呼び込みがあるとコ-ルサインを交わし当該機であることを確認して、所定の訓練を行った。帰投に際してはコ-ルサインを交わし終了した。

 指導教官がそばに付いてモニタ-しながら戦闘機対戦闘機の要撃管制訓練をした。最初は汗をかくほど緊張したりしたが、訓練を重ねると冷静沈着となり、全神経を集中し訓練に励んだ。要撃管制技量も目に見えるように習熟してきた。パイロットとの交信も円滑に行われるようになり、事前打ち合わせ、事後の反省等を電話で行った。

 訓練が終わると、指導教官から修正すべき点などが指摘され、操縦学生の飛行訓練時と同じように、毎回の訓練の内容とまづかった点、うまくいった点、教訓・反省事項を記録して次回の訓練に活用した。

 こうした訓練は、手動時代であり、オペレ-ション室に勤務する全隊員が航跡表示で承知しており、そのミッションの成否いかにとかたずを飲んで視ていることになる。ミッションの成否やどの程度の技量に到達しか一目瞭然であった。毎回が真剣勝負であった。

2.初級資格の検定取得

 訓練の合間には、警戒管制員が行っている業務を見たりして、全体の活動状況を習得した。何といっても、要撃管制官の任務は、要撃管制技量だけではなく運用規定等も習熟することが必須であった。学科試験にも合格する必要があった。

 所定の訓練が終了すると、初級資格認定試験が行われることになった。上級の資格を持つ検定委員のもとで実機による厳正な検定審査を受け無事に合格して、初級の資格を取得して一人前と認められた。

 その後は実任務のシフト勤務に組み入れられて小隊長のもとで要撃管制官の任務を務め、さらに技量の向上を目指した。要撃管制技量は実ミッション回数を数多く積むこと、あらゆる機種・パタ-ンを経験することが上達の秘訣であり、シフト勤務中において予告なく呼び込みのあったミッションには積極的に手を挙げて経験の幅を広げていった。厳しい勤務であったが、要撃管制の技量が上がっていくのが嬉しくて、自信に繋がっていった。生き生きとして充実した毎日を過ごしていた。