わが神原町(12) まちづくりの基盤となる青年会への期待と10年会

 1.  神原町 まつり青年会 

    地域の神原まつり青年会の初詣に参加した。

 毎年、正月明けには、有名な神社仏閣に初詣に出かけて家内安全・健康祈願等をしている。正月三が日は人出がいっぱいであることから、少し遅れてから出かけているがみんな同じように考えているせいか、どこに出かけても結構込み合っている。 

 今年は、1月12日に鶴亀会の箱根神社、次いで18日まつり青年会の豊川稲荷に初詣した。

 神原町のまつり青年会は、平成3年に町内の有志で結成され今日まで継承され秋祭りの屋台引き回しの主役として活躍している。青壮年が参加する組織は、安定した力強いエネルギ-が充満しており心強い。その上、近年、神原町は若い家庭が新築・在住して、世帯数・人口が急増しますます充実発展する町となっており、未来が明るい頼もしい町である。町民の一人としてわが神原町を誇りにている。

2.  小松勤務時代における十年会との縁

 頼もしい壮年たちに接すると、思い出されるのは、はるか40年ほど前の私が小松基地に勤務した折の地域の「十年会」との交流である。

 昭和50年からの2年間で、当時40~42歳前後であった。これは第6航空団司令部人事班長(3佐)として赴任した折、野立町官舎の自治会副会長を命ぜられたことから始まった。この自治会は小松市内の他の自治会と同じものである。

 小松基地の野立町官舎は、5階建官舎で2棟で100戸ほどであったように記憶している。当時の自治会会長は基地業務群司令能登久弘氏であった。補佐役として私が副会長に就いた。 

   野立町官舎自治会の業務で隣接自治会の役員と親しくしているうちに、串町、村松町の中堅・壮年で両町の「まちづくり」に熱心な人たちで結成した「十年会」を知るところとなり、請われて飛行隊長の井野英夫(2佐)と一緒に会員になることになった。

 十年会は、官舎のすく隣に住んでおられた金沢大学名誉教授の田中外男先生が会長で会員は串町及び村松町のやる気満々の現職町内会長を始めとする中堅・壮年たちで結成されていた。10年前を振り返り、10年先を見通して町の振興発展を目指して研さんに励む人材の集まりであり、当時よくもこうしたグル-プがあるものだと驚いたものであった。

 十年会の会員の職業はまちまちであったが、常に向上心に満ちて愛町心の強いのに感心した。小松基地の異色の自衛官が2人加わってお互いに大きな刺激となったようである。

 特に、全国各地を転勤してきた自衛官と交流を図って、幅広い識見を求め、積極的に「自分たちの住む町は将来どうあるべきか」と今でいう先進的な「まちづくり」に目を向けていた点が、私にものすごく大きな感動と刺激を与えたものだった。その後、十年会のメンバ-の多くは自治会長等地域を担う人材となっていった。素晴らしい集団で終生忘れられないものがある。

 自衛隊在任間はひたすら職務に専念し、定年退官後機会があれば、この時の思いを自分の住む町で取り組むことができたらとその後の官舎生活の転勤中にもひそかに胸に暖めることにした。

 自衛隊定年退官後、家内の里である浜松市西区神原町に居を構え、地域のことに積極的に関わるうちに、推されて自治会長等を務めるなことになったのは、こうした壮年時代の経験や思いがあったからではないかと思っている。その点からも自衛隊における転勤、官舎生活と住民との交流は、私に良い刺激と研さん努力の機会を与えてくれたのであった。

   自治会長としては、全力を傾注してなすべきこと、やりたいと思っていたことはやったので満足し、思い残すことはない。人間すべからく、自分の考えた大きな柱が建てられたらそれで良しとすべきであろう。

    神原町に在住以来、温めてきたやり方で町民の意見要望を取り入れた「神原町まちづくり構想」を策定して、総会で承認頂き、大筋を実行することができた。ありがたいことであった。細部はこのブログの「神原町自治会活動」「神原町まちづくり」で取り上げたので省略する。

3. まちづくりに向けた壮年の力への期待

   永住の地とした神原町に25年住んでみて感じることは、古くて新しい町に育ってきた祭り青年会が、伝統を受け継ぐお祭り活動を基盤に、一つのことに限定したり、満足せずに、さらに目を大きく見開いて、 幅広い神原町まちづくりの原動力・起爆力・発信力・集結力になって欲しいと思っていることである。

  お祭りは、町民、とりわけ子供にとって、伝統を受け継ぎ、笛と太鼓楽しさや躍動感を与える象徴的な存在である。ただそれだけでは、単なるお祭り青年会に終わってしまう。

 かって私がお世話になった小松市の十年会の存在のように将来の神原町を担う人材の集団となるよう発展してほしいと切に願っている。そうした組織・存在になってほしいと期待しているのは、私一人だけであろうか。多くの町民が望んでいることであり、期待ではなかろうか。きっと私の願望・夢が実現する日がやってくるであろう。 

4.   次世代に夢を託す永遠の課題

   「自分たちの住んでいる町をすこしでも住みよい街にしたい」誰しもが望んでいる永遠の課題である。昔も今も、これからも、どの町でも時代に応じて自治会を中心にその努力は続けられるであろう。神原町祭り青年会が充実発展し、将来神原町まちづくりの中核となって活動する人材が多数輩出することを願ってやまない。

   

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《 豊川稲荷に参拝し家内安全・健康を祈願した。 》

 

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 《 豊川稲荷神原町祭り青年会のさらなる充実発展と自治会と協力し合ってまちづくりへの推進力となるよう祈願した。》