昭和の航空自衛隊の思い出(80)  第23期幹部候補生同期の絆を結んだもの

1.  自衛隊入隊同期と各課程入校同期とのつながり

 昭和35年2月、航空自衛隊幹部候補生学校に入校し、第23期幹部候補生課程(部内)で10か月間、初級幹部自衛官として の職務を遂行するに必要な知識及び技能を修得するため教育訓練に励み、同年12月卒業した。

  自衛隊生活においては、いろいろな同期生会がある。その中でも一番絆が強くて仲間力・親睦力・団結力・開放力・継続力があるのは初めて自衛隊に入隊した時の同期生会であろう。歳が若く、初めての出会いの時の同期生は終生忘れられない仲間といえよう。それに対してある程度の隊務経験を積んだ後の課程入校同期等との同期会とは比べると一味違う継続性・特異性があるように思える。

 長い自衛官生活においては、入隊・出身期別・職域職種・課程入校などの度に様々な同期会等が結成されたり、自然発生的に生まれたりするものだ。これらは多くの出会いと交流の元となり公私にわたり職務上も私生活においても有益となり幅広い人間形成に資するものがある。

 これらは総じて、 世間一般の入社同期以上のものであるように感じた。ましてや派閥を作る、郎党を組むとは全く次元の異なるものである。

 私の場合も、35年余の自衛官生活で数多い出会いと交流を持った。その主軸をなしたものは各種の同期生会であった。その中でも航空自衛隊入隊時の第1期操縦学生会が、最もわが人生において強烈な印象と同期の絆が最も強かった。

 第23期部内幹候に焦点を当ててみると、同期生は年齢差が10歳以上あったこと、職域が異なり分散すると頻繁な交流がなかったことなどから現役時は一堂に会するものは行われなかったが、職域・職種・地域中心の同期間のつながりは強かった。

 初級幹部時代に進んだ同じ職域・職種の同期生とつながりは特別であった。とりわけ、要撃管制幹部に進んだ23期部内幹候の同期との絆は非常に強く、勤務する部隊は異なっても情報交換、交差訓練、出張の折はお互いに自宅に招き、親交を温め合ったものである。退官後の今日に至るまで年賀状等で旧交をやり取りもしている。後年、転進した人事分野も同様であった。 

 自衛官人生の中では、縦横のこうした入隊期、職種、課程入校期など様々な同期生との織りなす人間関係が、勤務や生活をより一層楽しく充実させてくれたものであった。

2. 23期部内幹候の特色と同期生の絆を結んだもの

  昭和35年2月、全国から選抜されて航空自衛隊幹部候補生学校に入校した第23期幹部候補生課程(部内)の同期生60名の年齢構成は、36歳ギリギリから下は24歳ホヤホヤまで年齢差・幅があった。その上、職種、隊務経歴も様々であった。

 10か月の幹部候補生課程を終えると、それぞれの幹部術科課程に進み、再び全国各地の部隊に散っていってしまった。こうしたことから当時同期が一堂に集まる機会もなく、定年退官する時期も様々であった。その都度、周辺の部隊に勤務する同期が集まったり、定年者が出ると呼びかけて、送別会を行った。 

3.  23期部内幹候同期の世話役と機関紙「悪友」の発行

 このような状況の中で、第23期部内幹部候補生が、昭和35年12月奈良の航空自衛隊幹部候補生学校を巣立ってから30年の歳月が流れた平成2年ごろ、7区隊の工藤哲男君が中心となって、第23期幹部候補生の機関紙「悪友」を年一回発行するようになった。

 通信電子職域の工藤哲男君は、とつとつとした話しぶりながら実に誠実に同期の間の絆を深めてくれた敬愛する人物であった。隊長職を経験し部下隊員からも信頼されていた得難い人材で、同期の世話役を厭わなかった。私も熊谷へ出張等の折には自宅に招かれ酒杯を交わし、大いに語り合ったものである。

 このように同期の中には、はまり役の人材はいるもので、23期は工藤君の献身的な世話によって同期会が運営されてきたといえる。この時すでに全員が定年退官していたが、各人が近況を寄せていることからも幹部候補生時代を懐かしく思っていたのだった。

 その後、幹事役の工藤哲男君の呼びかけで、平成4年9月5日~6日懐かしい奈良に14名が参集一泊して幹部候補生学校を訪れた。近傍に在住している増本繁君が事前調整などの世話役をしてくれて、在校した当時の母校と比較しながら見学し、充実した施設等に感激したものであった。 

 

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《 23期部内幹候 左から濵田喜己・上田正三・中村順一・猪膝康二・増本繁・福迫光治・橋本峰夫の各氏 》

 

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《 23期部内幹候 左から【前列】井嶋柳一・工藤哲男・有田周治【後列】川村修・濵田喜己の各氏 》

  

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《 23期部内幹候 左から 福迫光治・橋本峰夫・氏岡登・古賀健彦の各氏 》

 

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《 23期部内幹候の中で古賀健彦君は、同期から「古賀ちゃん」と呼ばれ誰からも愛され親しまれた。要撃管制幹部仲間でもあり、交流も深く、人一倍人間味のある敬愛する人物であった。実にギタ-がうまくて、帽子をかぶりギタ-を抱えて登場すると拍手喝采、それだけで様になった。忘れられない人である。》

 

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 《 23期部内幹候の世話役を担った工藤哲男君は、機関紙「悪友」を毎年発行し、義侠心が強く率先して同期の世話役を買って出て同期の絆を深めてくれた。いつの時代も同期生間を取り持ち、面倒見がよく敬愛する同期の一人であった。》