昭和の航空自衛隊の思い出(78) 初級幹部としての船出

1. 隊付期間における 目指す幹部自衛官像への挑戦

   昭和35年2月、航空自衛隊幹部候補生学校に入校し第23期幹部候補生課程(部内)で10か月間、初級幹部自衛官として の職務を遂行するに必要な知識及び技能を修得するための教育訓練に励み、同年12月卒業した。

    一般大学や防衛大学を卒業した若き候補生はもとより部内選抜候補生にとっても、幹部候補生学校を卒業し、さらに各職種の学校を経て部隊勤務になったときが最も重要な時期である。

 隊付の期間に、初級幹部としての基本的な事項をすべて修練することになる。専門分野の職種については実地で経験し、そのほかに部隊活動のための数多くの付加的な職務をこなし経験する。その上、自分よりはるか歳上の隊員との接し方・処し方など自問自答し苦しみながら自分なりの答えを見い出していくことになる。

   これらは、幹部候補生学校や幹部術科課程を卒業したからとか、単に階級や職位が上だからでは容易に乗り越えられるのものではない。

   多くの幹部自衛官が、一人前の幹部となるための通過点であり宿命である。これを上手に乗り切るかどうかが、その後の自衛官人生を左右することになる。

   かって、私は、陸上自衛隊に入隊し、新隊員教育で、教官となった3尉、見習幹部の凛々しい自信に満ちた態度と気迫、教育訓練指導に接して、このような幹部になりたいと胸に抱いたものであった。

    さらには、航空学生基本課程、操縦課程における教育訓練、整備学校における諸業務・諸勤務を通じて尊敬する上司・幹部自衛官の薫陶を受け、私なりの「幹部自衛官像」を描き、幹部候補生学校の教育訓練を通じて「自分の目指す幹部自衛官の姿」を固めて卒業した。

 どんなに描く理想や志があっても、その目標に到達するにはそれなりの年数と経験が必要となってくる。その間は期待される幹部像と現実の自分とのギャップに苦しむことになるが心配するに及ばない。

    

2.新品3尉に求める期待と育てる環境

   幹部候補生学校を卒業したての新品3尉に求めているものは、将来の発展活躍に期待しているのであって、部隊と新任幹部との関係は、「育てる」「育てられる」「育つのを待つ」といった感じがぴったりであろう。新任3尉自身がどのように受け止めようが、「部隊全員から育ててもらっている」のである。

   この期間はそう長くはない。失敗も許される。恥をかくこともある。この時機をいかに有効に活用するかで将来の伸長が決まってくるものだ。

   修練の分野は、幹部自衛官としての一般的識能と職域・専門の初級幹部としての知識・技能であろう。元気一筋にひたすら精進努力すれば、自然にこのハ-ドルを乗り越えることができるものだ。

   要撃管制幹部に進んでから2か年、実任務に就きながら先輩の指導を受け要撃戦技の向上に明け暮れた。

 

3.  指揮統率に関わる日々の精進

    初級幹部としての実力がつけば、次は「統御力をいかに身につけるか」が求められ、幹部自衛官人生を終えるまで付きまとう命題に取り組むことになる。

 統率は、三省堂 大辞林によると「多くの人をまとめて率いること。統御。 「一軍を-する」 」とあるとおり、統率は、指揮(Command)・統御(Leadership)の両者を含んだ概念と解する。

 指揮は任務達成のため部隊の方策を決定し、指揮官が部下に対し与えられた権限を合法的に行使することである。統御は団体内における個人が、団体内の他のものをして、協力と熱誠をもってその任務の完遂に邁進するように感化することである。このことから、統御は感化を基本としており、指揮の根底をなすものといえよう。

    古来、軍隊における指揮統率は、他の職業にないものであろう。自衛隊法に定められた自衛隊の任務を完遂するには「指揮統率」が根底となる。そこに例外はない。

生命をかけた自衛隊任務だからこそ、今風の言葉で言えば幹部自衛官・指揮官の「人間力」「感化力」、昔風にいえば「部下を心服させる力」たる「統御力」を日々修練し身につけなければならない課題が生まれる。部下を持つ幹部自衛官は階級や職位、上位の指揮官職であると否とにかかわらず、その職にある限り、極めなければならない必須の課題である。

 それは、単なる一般社会の管理職ではなく、「国民から負託された国家防衛の任務をやり遂げる」「生命の危険を顧みない任務遂行が求められる」「部下隊員の命を預かる」といった厳しい任務と職務を全うしなければならない立場になるからである。その覚悟と度量なくして自衛隊の幹部自衛官・部隊指揮官及び幕僚になるわけにはいかない。

4.部内幹候出身者の新人としての決意と精進

    この点では、部内出身者はどうであろうか。出身期別に関係なく初級幹時代は同じである。部内幹候に選ばれたことは、それなりの部隊及び職種の経験と技能・素質があって選抜されたものであるが、慢心したり、過信したり、方向を誤ると大変なことになる。多少の経験などたかが知れており大したことではないからだ。

 過去の経歴と一切決別して初級幹部として一から出直す決意が必要となってくる。今まで築いてきた知識経験に、新生の初級幹部としての精進を上積していけばより大きな高い識見・技能、新たなる豊富な経験・力量につながっていくものである。

    求められているのは「心機一転して幹部自衛官としての精進」である。積極進取、勇猛果敢に取り組む姿勢である。部内幹候出身者の陥りやすい点を自分でどのように克服していくかであった。

   その点では、若手組はその切り替えが速く容易であった。部内選抜出身者のおかれた立場は極めて有利な状況にあり、心がけ次第で将来発展する基盤を確立することができた。

   私は全く未知の要撃管制幹部の道を選んだ。作戦運用の第一線で勤務することを望んだ。バラエテイに富んだ部隊勤務が待っており、幅広い経験がその後の自衛官人生に役立ってきた。 

5.  人生はウサギとカメの交差する道のりだ

   後年、自衛隊退官後、全く未知の経験したことのない自動車保険料率算定会の仕事をした。

  「ウサギとカメ」の昔話と同じで、損保会社で育った経験豊富な者と一緒に損害調査業務を始めたが、約2年ほどで同じ程度になることができた。

   損保の豊富な知識経験があっても、自算会の損害調査そのものは自賠責基準に基づく認定業務であり、全体の流れは十分に分かっていても、細部の専門的な事項に関しては、自算会の独特の新人に対する実務研修を積んで自分のものとして、的確に業務を処理することができる。最終的には、1~2年後は新入社員で何も知らなかった者が経験のある者と同じレベルになるものである。そこには経験、未経験はさほど大きな障害や問題ではなかった。

  それは、新人は昼夜を問わず、それこそ本気で真剣に業務の習得に取り組むからである。経験者といえども、知識と経験があることがかえって甘えと努力を怠たることにつながると伸長を阻害することがあるから心すべきことであった。

    ウサギとカメの競争と同じで、要は当人の心の持ち方、努力にかかっていると言える。ウサギであろがカメであろが長い道のりにおける終着点では同じになってくる。

   人生はおかれた状況でウサギになったり、カメの立場になったりするものだ。どちらか有利で不利とも言えい。どちらの状況になつても素直に受け入れて、さてどうするかを考えれば自ずと進む方向が決まってくるものだ。

   ウサギとカメの昔話はいつの時代も生きており、人生そのものを言い表していると言えるのではなかろうか。

 

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《 平成10年自算会静岡調査事務所の様子、常に緊張感が求められる厳しい業務であった。40名近くの大所帯であったが、静かな環境で一般調査・医療調査・後遺障害認定業務が行われた。ウサギとカメの昔話はいつの時代、どんな分野の世界でも同じではなかろうか。》