昭和の航空自衛隊の思い出(76) 幹部候補生学校の航空実習

1.  美保・高尾山の航空実習

    昭和35年2月、航空自衛隊幹部候補生学校に入校し、第23期幹部候補生課程(部内)で10か月間、初級幹部自衛官として の職務を遂行するに必要な知識及び技能を修得させるための教育訓練に励んだ。

 美保・高尾山、小月、防府の基地に3班に分かれ航空基地の実習をした。私は要撃管制官を志望していたこと、小月、防府は操縦学生の基本課程と操縦課程で学んだ基地であることなどの理由から初めての美保・高尾山班を選んだ。美保基地では輸送機の搭乗、飛行隊など航空基地の主要機能及び業務を研修した。

2.  高尾山のレ-ダ-基地研修

 また、高尾山のレ-ダ-基地を研修し、初めて警戒管制部隊の一端に触れることができた。卒業後の進路である警戒管制部隊であるだけに非常に強い関心を持って実習した。後年、西部警戒管制団司令部人事部長として隷下部隊の第7警戒群(高尾山 )の部隊運用及び隊員の人事・勤務管理に深く関わることになった。 

 休日を利用して、郷里鳥取・羽合町(現湯梨浜町)宇野の両親に晴れの幹部候補生姿を見せることができた。両親は紋付で迎えてくれた。子を持つ親になってみて分かることであるが、きっと両親の胸の内は万感の思いがあったであろうと推察した。また、中学時代に登った秀峰大山に再び登山したことが強く印象に残っている。

 校内だけではなく、航空自衛隊の他基地を研修し、一歩一歩広い世界に進んて行くように感じた。

 

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《 昭和35年秋、25歳、航空実習の折、幹部候補生の記章を着けた制服姿で両親のもとに報告に行った。父との記念写真、笑顔で迎えてくれた。末っ子であっただけに親としてはいろいろな思いがあったであろうと推察する。 》

 

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《 Ç-46輸送機の体験搭乗を行った。その後、要撃管制官になって各地のレ-ダ-基地への交差訓練への往復に輸送機の定期便を利用するこになった。》

 

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《 日帰りの大山登山 左から【前列》猪膝康二・高橋洋・菊池通裕【後列】橋本峰夫・菅信介・山田繁・中村順一・上田正三・濵田喜己・(  )の各氏 》

   

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《 昭和35年秋 高尾山レ- ダ-基地から弓ヶ浜半島を一望できる。素晴らしい眺めであった。》

 

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《 昭和35年秋高尾山レ-ダ-基地の研修、これが基地の正門と聞いて驚いたことを覚えている。山自体がレ-ダ-基地そのものであったのだ。》

 

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《  高尾山レ-ダ-サイト長、本部女性職員を囲んで3個班に分かれて記念撮影した。》