昭和の航空自衛隊の思い出(74) 幹部候補生学校の黄檗山萬福寺の参禅等

1.  黄檗萬福寺の参禅

  昭和35年2月、航空自衛隊幹部候補生学校に入校し第23期幹部候補生課程(部内)で10か月間、初級幹部自衛官として の職務を遂行するに必要な知識及び技能を修得させるための教育訓練に励んだ。

    校外研修は各所に行ったが、特に印象が強かったのは、京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院、「黄檗萬福寺」に一泊しての参禅であった。高僧の講話、座禅、精進料理が記憶に残っている。

 初めて長時間座禅を組んだ。こうした研修はその後の自衛官生活においても、「黄檗萬福寺」はもとより座禅等に関心を持つきっかけとなった。何でも若い時は体験させることが大事である。必ず何かの形で頭を鍛え、全身の血となり肉となってくるものだと思う。

 

 2.  萬福寺のホ-ムぺ-ジから転載(出典)

     黄檗山の境内

黄檗萬福寺は1661年に中国僧 隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師 によって開創されました。

禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省福州府福清県にある黄檗萬福寺のご住職をされていました。その当時、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝されました。宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗萬福寺」と名付けました。

その後、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗と改宗し現在に至ります。日本でいう「禅宗」は、臨済宗曹洞宗黄檗宗の三宗に分類されています。

萬福寺の伽藍建築・文化などはすべて中国の明朝様式です。美術・建築・印刷・煎茶・普茶料理隠元豆・西瓜・蓮根・孟宗竹(タケノコ)・木魚なども隠元禅師が来られてから日本にもたらされたものであり、当時江戸時代の文化全般に影響を与えたといわれています。中でも中国風精進料理である「普茶料理」は日本の精進料理(禅僧が日常食する質素な食事)とイメージが異なっています。見た目も美しく盛りつけられる料理の数々は、高タンパク・低カロリーで栄養面にも優れ、席を共にする人たちと楽しく感謝して料理を頂く事に普茶料理の意味が込められています。

 

3.  古の都に囲まれて神社仏閣を訪ねた

   幹部候補生学校に入校中は、古の都で勉学できたことはに有益であった。所定の教育訓練に明け暮れて平日は外出をすることがなかった。

 休日ともなると、同期候補生とともに奈良市内に外出し、主として神社仏閣、春日公園などを散策した。また、体育の時間に、体操服装で近くのお寺等を訪れたことがある。

    東大寺興福寺唐招提寺春日大社薬師寺元興寺など大抵のところは訪れた。春日公園・五重の塔・猿沢の池などはしばしば訪れて奈良の土地柄を満喫した。奈良以外にも足を延ばしたように記憶している。

 後年、次兄が奈良に居を構えることになり、一層奈良は身近に感じるようになった。ゆっくりと往時の幹候校と奈良の都を訪ねてみたいと思うことがある。

 

f:id:y_hamada:20150108130928j:plain

 

f:id:y_hamada:20150108130551j:plain

《 23期部内幹候 7区隊左から・福迫光治・本郷敏廣・橋本昌和・矢野幸男・濵田喜己・乗富魁男の各氏 》