昭和の航空自衛隊の思い出(72) 幹部候補生学校の訓練・演習等

1.   基本教練

❶ 基本動作と小隊等指揮

 昭和35年2月、航空自衛隊幹部候補生学校に入校し、第23期幹部候補生課程(部内)で10か月間、初級幹部自衛官として の職務を遂行するに必要な知識及び技能を修得させるための教育訓練に励んだ。

 部内幹部候補生は、基本教練、戦闘教練、射撃等を含めて基本的なものは、入隊時の教育訓練と部隊勤務においてかなり経験していることから、初心に帰って基本動作の習熟と小隊長等としての実員指揮を徹底して演練することができた。この種の訓練は訓練すればするほど練度が向上し、実員指揮も的確にできるようになるものだ。

 部隊においては、訓練検閲の事前訓練において教官に指名されることが多く、自信をもって教育指導にあたることができた。そのもとは大失敗に懲りずに数多くの場を踏んだことにあった。

❷ 力強い号令と命令

 指揮官としては、「号令」は「命令」に通じる。気合のかからない号令では部隊・隊員はついて来ない.力強いはきはきした肉声と声量で号令を発することが必須であった。

 総じて、子供の時から声は大きかったようだ。中学の野球選手で捕手の時も臆することなく大声を出していた。自衛隊でも号令をかけるときは、いやに力が入って大きな声が出ていた。これは私の長所であったように思う。

 こうしたことから、民謡、詩吟、カラオケと声を出すことは厭わなかった。最初のうちは中途で歌詞などを忘れ大恥をかいた。要は練習不足にあった。練習、練習だ。そのことが命令の下達や人前で話をする時に役立った。積極的に場を踏んでいくと不思議なもので度胸と自信がついてくるものだ。それに付随して態度も堂々と自信に満ちたように見えるものである。

 2.  拳銃射撃訓練

 拳銃射撃等は、入隊後の教育訓練と部隊訓練で経験しており、基本の復習と射撃を通じて指揮官として射撃訓練、射場管理などを体得することができた。部隊においては、訓練指揮官を命じられることが多かった。 

 特に、武器の取扱いに当たっては、実弾の管理・取扱いと人員の安全管理を徹底した。この種の訓練は無事に終了するとほっとしたものだった。

 3. 戦闘教練

 小隊等の陸上戦闘の基本を学んだ。基本訓練は近くの平城宮跡の野原や長池演習場の広大な原野を這って、必死に駆駆けずり回った体験が印象に残っている。実地で小隊長等動作を体験したことが、基地警備等の指揮に役立ってきた。

 4.  秋季総合演習

 長池大演習場における諸訓練は、幹部候補生学校における総合演習が最も印象に残っている。宿営地では幕舎が立ち並び、広い演習場の野原を駆けずり回った。

 部隊勤務では、主として基地を主体とした基地警備演習が主であった。幕僚として演習の企画・計画作成、実施等のほか指揮官としての実員指揮に役立った。

  

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 《 基本教練、小隊長として交代しながら演練した。全体を把握しながら号令一つで、小隊を意のままに動かせるようになったら度胸と自信がついてくる。 》

 

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  《 前進前進、また前進の訓練 》

 

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《 戦闘教練、偽装し大演習場の起伏と樹木の多い野原を駆けずり回った。 》

 

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《 戦闘教練、基本訓練は厳しく、匍匐あり、突撃ありであったが、若く張り切っていたのか苦しかったという記憶がない。「忘却は忘れ去ることなり」 》

 

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 《 秋季総合演習は、長池演習場に宿営して諸訓練を行った。》

 

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 《 宿営地におけるわが区隊、左端小生 》