昭和の航空自衛隊の思い出(71) 幹部候補生学校の体育訓練

1.   任務遂行の基盤となる体育訓練

 昭和35年2月、航空自衛隊幹部候補生学校に入校し、第23期幹部候補生課程(部内)で10か月間、初級幹部自衛官として の職務を遂行するに必要な知識及び技能を修得させるための教育訓練に励んだ。

    体育訓練ではいろいろな種目を行ったが、水泳のほかはラグビ-、持久走などが印象に残っている。ラグビ-は第1期操縦学生基本課程で鍛えられのでその延長上であった。奈良の歴史的環境特性を活かし、駆け足では体育服装で人のあまり訪れない校外の神社仏閣、史跡を訪れたのが印象に残っている。

 体育訓練を通して、単に自分の身体を鍛えるだけではなく、幹部自衛官として任務遂行と強靭な体力気力の練成について真剣に取り組むようになった。 

2. 自らが鍛える卒業後の体力練成

 幹部候補生学校を卒業して、要撃管制幹部の道を歩み部隊勤務となったが、24時間の交代制勤務となると、いくら若いといっても昼夜を問わない勤務を続けると、体力練成は自らの強い意志と継続した努力が必須であった。その後、いろいろな勤務をしてきたが、その基本は変わりがなかった。

 入校学生は、学校で計画的に体育の時間が設けられているが、部隊においては任務遂行のため年度の部隊訓練と個人訓練の諸計画に基づく様々な練成が行われる。

 それにしても自己の健康管理の面からも体力練成に自分に合った創意工夫が必要である。日常生活の中にどのように取り入れるかが知恵の絞りどころだ。それは各人の勤務環境、職務の内容、家庭状況により大きく左右される。

 誰かが鍛えてくれるわけではない。自衛官といえども生身の身体である。普通の人間であって鉄人ではない。いついかなる時でも困難な任務を果たすには、自衛官生活の中で自らがどのように体力練成していくか定年まで付きまとう課題であった。地方の部隊勤務では出来るだけ時間を生み出してあらゆる場で積極的に体力練成を図った。中央勤務では官舎に帰ってから周りを走ったりして体力練成をした。

 そうした鍛錬のお陰で退官後も今日まで人並みに過ごすことができた。これは自衛隊勤務が健康管理、体力維持に良い影響をもたらしてくれたものだと心から感謝している。