昭和の航空自衛隊の思い出(70) 幹部候補生学校の体育訓練(水泳訓練)

1. 校内プ-ルで泳力と体力練成

  昭和35年2月、航空自衛隊幹部候補生学校に入校し、第23期幹部候補生課程(部内)で10か月間、初級幹部自衛官として の職務を遂行するに必要な知識及び技能を修得させるための教育訓練に励んだ。

   教室を中心とした座学の一方、教練や体育訓練が進行した。夏季になると体力気力 練成には水泳は全身運動で最適であった。そのうえ、私は日本海がすぐそばにある農漁村で育ったので、子供の頃から海に親しみ泳ぎは自然に覚え、得意な方であったので楽しみながらの訓練であった。

   水泳は、全員が遠泳ができることを主眼にプ-ルで訓練した。同期生はみんな普通以上の水泳能力を有していたので、中隊の水泳大会でも各種種目を競い区隊としてよい成績であった。私は自由型で出場したりした。

2.  三重県大淀海岸における水泳訓練

 夏季の水泳訓練は、三重県の大淀海岸で行われ、入校中の各期全候補生が集結しての訓練であった。古い小学校の教室で宿泊したように記憶している。訓練は救急法を含めた各種の訓練が日課に基づいて行われ、昼寝の時間が設けられたりした。

 遠泳訓練は距離を少しづつ伸ばしていき全員が泳ぎ切った。私は和船が漕げるのでそちらの方で同期の遠泳を支援をしたりすることもあった。

 また、入校前、第1期操縦学生基本課における夏季水泳訓練、整備学校の水泳訓練の設営、水泳大会の企画運営を経験していたので、学生の立場から夏季訓練の苦労を察することができた。

3.  故郷の父なる海に感謝

 小学校6年のころ郷里鳥取の宇野海岸の沖合を西島から東島までのかなりの距離を兄松壽と同級生の松村喜一郎君の3人で完泳したことがあった。少年時代の経験はその後の水泳に大きな影響を与え、定年後も水泳を楽しむ素地をもたらしてくれた。

今れ育った故郷の父なる日本海に感謝している。

 

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《 昭和35年 夏季総合訓練(水泳)・三重県大淀海岸で訓練開始 》 

 

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 《 昭和35年夏 第23期部内幹部候補生の三重県大淀海岸における水泳訓練、小生は2列の右から2番目 》

 

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《 水泳訓練は2列になって隊形を保ちながら進んだ。どの遠泳も同じように確か飴玉が配られてなめていた記憶がある。 》

 

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《 昭和35年 夏季総合訓練(水泳)・三重県大淀海岸で訓練が終了し明星駅から乗車帰隊する。第23期部内幹部候補生7区隊全員、左から【前列・膝姿勢】秋山達郎・ 斎藤隆男・猿渡久雄・井嶋柳一・*村田隆・区隊長近持2尉・中村順一・園田顕二・高畑賢一郎・【後列立姿勢】関良知・本郷敏廣・日下与志雄・長田乾・乗富魁男・杉山衛・小野田正一・菊池通裕・*熊谷邦之助・津山敬史・佐藤文夫・*濵田喜己・中瀬薫・上田正三・矢野幸男・木崎剛・福迫光治・上野寿郎・橋本昌和の各氏、*印は第1期操縦学生出身 》