昭和の航空自衛隊の思い出(62) 奈良と航空自衛隊幹部候補生学校

1.奈良基地と航空自衛隊幹部候補生学校

    奈良基地といえば「幹部候補生学校」である。航空自衛隊の幹部自衛官を目指して部内の選抜試験に合格し、固い決意と希望に燃えて教育訓練に励んだ幹部候補生時代の修練の場であり、母校である。

❶ 所在

 奈良基地は、奈良県奈良市法華寺町に所在し、航空自衛隊幹部候補生学校が配置されている航空自衛隊の基地である。奈良県内では唯一の自衛隊施設である(自衛隊奈良地方協力本部を除く)。

 奈良基地は、奈良市内北部、平城宮跡北東の宇和奈辺(うわなべ)、小奈辺(こなべ)の両古墳に接する古代から天平への歴史を伝える多くの史跡に囲まれた環境にある。 

❷ 沿革
 昭和17年  4月 厚生省西部国民勤労訓練所が、この地に開所
 昭和20年  終戦 米軍駐屯 ~昭和31年9月まで
 昭和31年 11月 幹部候補生学校防府から移駐 奈良基地開設
 昭和32年  3月 幹部候補生学校編成完結

 奈良の都に、航空自衛隊の基地があるのかと、驚く方がいるかもしれないが、沿革に見られるとおり、厚生省の訓練施設を戦後米軍が接収し昭和31年まで使用した。それを引き継いで奈良基地が開設され、航空自衛隊幹部候補生学校防府基地から移駐し所在することになった。

 

2.奈良における航空自衛隊幹部候補生学校

    航空の幹部候補生学校を奈良に選定した経緯は、「航空自衛隊幹部候補生学校奈良開設30周年記念誌」をひもとくと、ときの航空幕僚長大村平空将が記念誌「航空自衛隊幹部候補生学校奈良開設30周年を祝す」の中に次のような一文を寄せておられる。その経緯、奈良と幹部候補生学校の組み合わせについて、明快に示しておられるので紹介しよう。

 「幹部候補生学校、なんとすばらしい響きをもつ言葉でしょう。未来の航空士官を約束され希望と情熱にあふれた若人たちの青春と躍動が、ここにあります。

 いっぽう、幹部候補生学校と奈良の組み合わせについては、いくつもの異論が囁かれたことがありました。陸幹候校が久留米の、海幹候校が江田島の伝統を継承したように、空の幹候校には航空にゆかりの深い、たとえば、入間、浜松、岐阜などがふさわしいのではないかとか、朝に夕にジェット機の爆音が聞こえる基地こそ候補生のエアマンシップを叩き込むのに最適であるとか、いくつもの議論がなされてきました。

 けれども、すでに幹部候補生学校と奈良との組み合わせは30年の歴史を刻み、その間約1万6千余名が初級幹部等として奈良の地を巣立ち、今では航空自衛隊の幹部のほとんど全員が奈良の幹部候補生学校の卒業生ではありませんか。今や、幹部候補生学校が奈良の地にその伝統を築き上げつつあることは疑う余地もありません。

 伝統は、幾月の経過とともに自然発生的に定着することもありますが、理念と目的意識に裏付けされた努力の積み重ねによって創り出され、さらに何代にもわたって磨きをかけられ定着するのが望ましいと、私は信じています。」

(一部省略)

  「幹部候補生学校が奈良の地に存在することに私は大きな意義を感じております。自衛隊が「わが国の平和と独立を守り国の安全を保つ」ことを任務としていることは衆知のとおりですが、では「わが国」とは何でしょうか。

 美しい国土、勤勉な国民、世界に冠たる繁栄と治安と自由などなど、そして忘れてはならないのは長い歴史に裏打ちされた文化、これらこそ自衛隊員が命をかけても守らなくてはならない「わが国」ではありませんか。

 その長い歴史と文化が集約されているのが奈良です。奈良の地が、航空自衛隊の幹部となるべき若人たちの魂を鍛える聖地として選ばれたことに、私は深い意義を見出しているのです。

 どうぞ、幹部候補生学校が今後とも奈良の地にあって、航空自衛隊の活力の根源となる幹部候補生にエアマンシップを叩き込む教育の場であると同時に、航空自衛隊のすべての幹部自衛官にとって心のふるさとであり続けますよう期待して、ご祝詞といたします。」と述べておられる。

  奈良に航空自衛隊幹部候補生学校が開設された背景には、若き候補生たちが、歴史的遺産の宝庫奈良の地から、日本民族祖先の心に通じ、国に親しみ、国を愛する幹部に育つことを願って決定されたものと拝察している。

 先人たちのその慧眼に驚くほかない。私も在校間、休日は折に触れてわが国の歴史探訪に出かけた。奈良は実に、航空自衛隊を担う幹部候補生が学ぶにふさわしい環境であると思う。

 写真  航空自衛隊奈良基地ホ-ムぺ-ジ 出典

     奈良基地は関西唯一の航空自衛隊の基地です

《 写真 航空自衛隊奈良基地ホ-ムぺ-ジ 出典 》

 現在の航空自衛隊奈良基地、ホ-ムぺ-ジから転載、下の昭和35年時と比べると基地内の建物は全部建て替えられているように見える。正門に至る左右の両古墳だけが変わりないが、周辺の環境が大きく変わってきたことが伺われる。》

 

f:id:y_hamada:20141224184904j:plain

 《 昭和35年入校時の奈良基地及び周辺 》

 

 f:id:y_hamada:20141226211438j:plain