陸上自衛隊の思い出・「徒然の記」
この記は、昭和54年11月浜松基地にある飛行教育集団司令部人事第1班長(自衛官人事担当)(現航空教育集団司令部)として勤務した、2 佐・44歳の頃、浜松医療センタ-に短期間、検査入院した折に「徒然の記 」として、24年前の昭和30年陸上自衛隊に入隊し教育訓練を受けたころを回想したものである。
*現在から当時を見てどうであったのか所感と説明を【 】に加えることにした。
22. 不寝番
❶ 真夜中の不寝番勤務
新隊員教育における諸勤務の中で強く記憶に残るものは不寝番である。2人一組になって中隊本部の定位置に1人、あとの1人は動哨し、中隊の舎内外の警戒監視、火災、盗難、衛生などに注意するのが主任務である。
営舎内は夜間の電灯は全て消され、非常灯のみの薄暗い廊下をコトコトと音を立てないように注意して、懐中電灯を持って動哨したが、最も眠い真夜中に緊張しながらの勤務であった。
教官に教えられたとおりの警戒動作をとり、2時間を終えるとホッとすることが多かった。
❷ 厳寒期の不寝番後
特に、1月〜2月の大山降ろしの寒風は、真夜中に2時間起きてしまうと体が凍え、再びベッドに入っても寒さをこらえるのに精一杯で、朝方までウトウトとすることがあった。
動哨中、毛布を脱いでいる者にはそっと毛布をかけてやり、戦友愛を発揮したものである。
❸ 巡察幹部への報告
不寝番勤務で最も緊張したのは、コトコトと隣の隊舎から近ずく当直幹部の巡察であった。
懐中電灯で確認し、「◯◯直 不寝番 動哨中異常なし」と低い声で力強く報告し、「引き続き服務します」と見送る一瞬は身の引き締まる思いをした。
後年、航空自衛隊において、当直幹部として、基地内を巡察するとき、この当時の情景を思い出したものである。
【 不寝番勤務は、上番中の緊張感と下番後の寒さに耐えたことが印象的であった。自分と自分の部隊を守る部隊行動の基本中の基本であり、忠実な勤務遂行が要求される。
昼間は激しい訓練の後の夜間勤務であったが、緊張したり、突然、暗闇で誰何されて、一瞬驚くこともあったりして、勤務を重ねるうちに自信と度胸が付いてきた。
後年、航空自衛隊において当直幹部として、夜間、基地内を巡察するとき、不寝番に出会い異常の有無の報告を受ける時、かっての新隊員時代の不寝番勤務が頭をよぎったものである。】