昭和の陸上自衛隊の思い出(16 ) 徒然の記」 初めての実弾射撃と弾の下を潜った

陸上自衛隊の思い出・「徒然の記」

 この記は、昭和54年11月浜松基地にある飛行教育集団司令部人事第1班長(自衛官人事担当)(現航空教育集団司令部)として勤務した、2 佐・44歳の頃、浜松医療センタ-に短期間、検査入院した折に「徒然の記 」として、24年前の昭和30年陸上自衛隊に入隊し教育訓練を受けたころを回想したものである。

  *現在から当時を見てどうであったのか所感と説明を【  】に加えることにした。

 

20.    実弾射撃と彈の下を潜った

   昭和30年1月陸上自衛隊に入隊し、前期の新隊員教育の終わりの頃、海岸近くにある演習場(射撃場)で実弾射撃を実施した。

 初めてのライフル銃、ロケット弾は、発射時の肩にかかる反動はかなりのものがあった。

 次いで、キャリバ-50機関銃でバリバリと実弾が頭の上を飛んでいくいく状況下で、匍匐前進して地雷を避け、鉄条網の下を潜り抜ける「潜入」は、実戦的で緊張し、「弾の下を潜った」という実感がした。

【 新隊員教育の前期の共通教育において、各種の銃の構造・取り扱い方・分解結合など徹底して学んだ。ライフル銃は目隠ししていても分解結合ができるようになった。最終段階において、初めての実弾射撃を行った。

 振り返ると、実際は体験程度であり、機関銃、地雷等万全の安全管理を徹底して実施されるものである。

    射撃に至るまでの準備教育は徹底して反復教育が行われた。照準の仕方、修正要領などから始まり射場管理・規律及び安全管理は厳格で重々しさを感じた。

    教官から詳しく説明をうけていたが、実際に射撃を体験して見て、発射時の反動などを体験し理解できた。

 次の機関銃の弾が飛ぶ下を小銃を持って匍匐前進で進む「潜入」は真剣そのもの、号令一下出発点の豪から這い上がり、匍匐前進する。

    時折、近くで地雷がさく裂し、顔を地面に伏し、土砂が鉄兜にパラパラと落ちて来て、停止してはまた前進した。蛇腹の鉄条網の下をくぐけ抜け、終点の塹壕にたどりついて、緊張感が解けて大きな体験をしたと実感した。

    まさに「実弾の下を潜ってきた」という体験と自信がついた。実弾の激しい連続発射音と曳光弾でどの程度のところを飛んでいくのか隊員は目にして度胸がついたが、緊張感は相当あったように覚えている。

 転じて、航空自衛隊の操縦学生課程では拳銃射撃を体験した。後年、部隊で年次の実弾射撃の訓練指揮官・射場指揮官をすることがあったが、新隊員時の最初の体験が頭をよぎり、事前教育、射場における安全管理など徹底して実施し役立った。

    何事も基本をしっかりと教え、叩き込んで実体験させることを学んだ。】