先月11月30日、航空自衛隊第1術科学校創立60周年記念行事に参加した。学校が創立されたのは、航空自衛隊が発足して2か月後の昭和29年9月浜松基地に整備学校として設立された。
私が1術科学校の前身である整備学校に所属したのが、昭和32年4月であり、創立から2年半が経過した後で、各種特技者の大量養成の最中であった。
今回の行事参加者は学校職員数百名及びOB170名であった。
卒業生は、この60年間で約123,000名が巣立っていたとのことである。輝かしい歴史が刻まれている。真剣な居合の展示、勇壮な太鼓が鳴り響き会場は盛況となった。
次のような 所感を持った。
【所感】
❶ 今回の創立60周年と10ごとの節目にOBを招いて、現役とともに祝い、過去・将来・未来を語ることはよいことである。
惜しむらくは、一般OBに対する案内は、浜松基地周辺に居住するものに限定せず、呼びかけたらよかった。階級・職位に関係なく、古い時代に勤務した者ほど学校勤務を懐かしみ発展を希っているものだ。
❷ かって勤務した古い時代のものは現存しなくなったが、松田武学校長の「空の勝利は技術に在り」などの銘石は、場所と周辺に若干の変化があるが、未だ健在であり、当時のことがよみがえった。過去・現在・未来をつなぐ銘石である。
❸ 浜松基地のメイーン通りは、歴史を感じさせるようになってきた。樹木類は時代を経て風格が出てきた。古き建物は撤去されて次々と新しく耐震化されていることは心強く感じる。
防衛の拠点は、それなりに頑強であるべきだ。格納庫などの骨組みを眺めて改善の一端を垣間見ることができた。非時常、防災対処の拠点である。
❹ 総務課交流の部屋となった入校式場には、歴代の優秀課程学生と優秀教官の銘板が掲げられており、歴史の重みを感じた。
学校にとって、教官と学生の栄誉を末代まで伝えることは素晴らしいことである。OBの数名が自分の銘板を見つけて感慨深そうにしている姿を見て感動した。
私がかってに学生として入校し、教官として勤務した芦屋基地の3術校はどうなっているだろうかと思いを馳せた。いつの日か訪れてみたい学校の一つである。
《 懐かしい顔ぶれ、この日の出会い 》
《 入校・卒業の式場に立ってみた。数多くの学生が決意を新たにしたところだ。身が引き締まる。3術校で人事・総務・要務・教育技術等の教育を担当し、精魂を込めて後継者の育成にあたった日日があった。》
《 歩道も長い歴史の重みであろう。落ち着いたものとなった。》
《 学校庁舎前から基地内の道路 》
《 黄金色の優秀卒業生の銘板、立派なものである。優秀な隊員が巣立って航空自衛隊の任務遂行に寄与した。 》
《 各部課別に分かれて逐次記念撮影、広いエプロンで心も広くなった。 》
、主の部
《 総務課関係の記念撮影、歴代校長及び現職学校長始め主要幹部、隊員とOB、平元学校長からOBに礼状と記念写真が送られてきた。ありがたいことです。 》
《 第1術科学校長平元和哉将補の挨拶、「空の勝利は技術に在り」良き伝統を継承し、航空機及び航空機搭載武器等の整備に関する技術教育を充実発展させたいと力強く強調された。 》
《 今村昭八元第1術科学校長兼浜松南基地司令の祝辞、35周年、50周年と新機種の「未知との遭遇」を乗り越えてきた。1術校の飛躍と充実発展を期待すると強調された。 》
《 祝賀会場の一部、各部課別のテ-ブルに分かれて現役・OBが祝賀・懇親した。》