昭和の陸上自衛隊の思い出(13 ) 「徒然の記」 新隊員教育の学科(座学)

陸上自衛隊の思い出・「徒然の記」

 この記は、昭和54年11月浜松基地にある飛行教育集団司令部人事第1班長(自衛官人事担当)(現航空教育集団司令部)として勤務した、2 佐・44歳の頃、浜松医療センタ-に短期間、検査入院した折に「徒然の記 」として、24年前の昭和30年陸上自衛隊に入隊し教育訓練を受けたころを回想したものである。

  *現在から当時を見てどうであったのか所感と説明を【  】に加えることにした。

 

17.  新隊員教育の 学科(座学)

 自衛隊の編成・組織・法令・銃の構造等の教育は、大部分は講堂に全員が集合して教官の小隊長の3尉あるいは見習幹部から教育を受けたものである。

 1,2月の冷たい板の上に作業服装のまま「折り敷け」の号令で座った。助教連は窓際に位置して受講状況を観察しているわけだが、数多い中には大物がいた。連日の激しい訓練の疲れから居眠りする者もいて注意される者もいた。

 学科教育が終わると、簡単な筆記試験が行われ、教育の成果を確認していた。教えられたことは一生懸命覚えたので大体解答できた。 

 BXで野外教範を購入して、さらに勉強したことを覚えている。

【 昭和30年1月入隊後の新隊員教育では、机と椅子が揃った教室で教育を受けた事はなかった。講堂で全員集合し、折り敷けの号令で 半長靴を履いたままで教育を受けた。冷たい 板敷であったが、特別寒かったという記憶はない。

    主として実物を展示して説明をして、実地にやってみるといったことが多かった。座学ではプリントのようなものが配付されたように覚えているが定かでない。基本的にはその場でメモを取り徹底して覚えるやり方であった。

    小隊長の教官の説明は、堂々とした態度で自信に満ち、簡潔明瞭でわかりやすく、教育方法も優れていた。こんな幹部になりたいと思ったほどである。

     後年、幹部となって教育指導に当たった時、当時の教官の姿がよぎるほどであった。それだけ印象が強かったということであろう。

     昭和30年6月、航空自衛隊に転じて、第1期操縦学生としての基本課程は、粗末ながら教室兼自習室があった。座学は、粗末なザラ紙ながら教育資料が配布された。

     私にとつては、新隊員ながら、もっと詳しい訓練資料で勉強したいという欲求が強かったようで、野外教範的な資料を売店で買い求めて勉強したことを覚えている。この資料は操縦学生基本課程の野外訓練では役立つことになった。 】