昭和の陸上自衛隊の思い出(7 ) 「徒然の記」 私物はトランクと参考書

陸上自衛隊の思い出・「徒然の記」

 この記は、昭和54年11月浜松基地にある飛行教育集団司令部人事第1班長(自衛官人事担当)(現航空教育集団司令部)として勤務した、2 佐・44歳の頃、浜松医療センタ-に短期間、検査入院した折に「徒然の記 」として、24年前の昭和30年陸上自衛隊に入隊し教育訓練を受けたころを回想したものである。

*現在から当時を見てどうであったのか所感と説明を【  】に加えることにした。

 

10.  持ち物はトランク一つ

❶ 私物はトランクと参考書

 昭和30年1月16日陸上自衛隊米子駐屯地に着隊し、身体検査に合格した者は入隊が認められた。入隊者に対しては、被服等が支給された。制服を支給された新隊員は、上官の指導によって私服を全部家に送り返すようにされており、私が着てきたセビロ、靴すべて父が持ち帰った。

 私の手元に残ったものは、新品のトランクとその中の参考書のみであった。向学心に燃えていた私にとっては、高校時代の参考書は手放し難く、いつまでも勉強したいという気持ちが強く残っていた。

 

❷ トランクの処分

   このトランクは、わが青春の思い出として、約20年間にわたり転勤の度に持ち歩いたものであるが、最後には手放してしまった。

 今考えると誠に残念なことをしたと思っている品の一つである。このトランクは、両端は擦り切れ、留め金も外れたものであったが自衛隊生活20年にわたる私の人生を象徴したものであった。

 高校時代の参考書は散逸し、残っているものは1~2冊であるが常に向学心を支えてくれた貴重なものであった。

  【 陸上自衛隊入隊時には、航空自衛隊に操縦学生制度が創設され第1期生の採用試験が行われており応募していた。こうした関係から参考書を手放さなかったものと思われる。また、状況によっては通信教育を受けて大学を卒業しようとも思っていた。トランクはわが家の心のお宝であったが、壊れたりして最後には処分してしまった。今もって残念に思っている。トランク一つで社会に出て、裸一貫でここまで来たという男の心のブライトのようなものであった。 】