昭和の航空自衛隊の思い出( 53) 忘れえぬ故内野英昭君

1.忘れえぬ人 故内野英昭君を偲ぶ

     平成24年4月東京は市ヶ谷のグランドヒル市ヶ谷で、同年1月に逝去された故内野英昭君を偲ぶ会が行われた。案内をいただき上京した。そこには遠竹郁夫元航空幕僚長をはじめ並み居る元将官幹部候補生学校の区隊長時代の上司・仲間、部内幹候同期生など多数の参加者で会場はいっばぃであった。

 浜松からは故人が初めて勤務した創設期の整備学校総務課の当時の管理班長福岡菊雄元将補、一緒に勤務した松下泰男元防衛事務官と内務班長であった私が出席した。

 偲ぶ会は、内野君の人柄、幅広い人脈と交流になるほどとうなずくことばかりであった。整備学校での出会い以来60年近く彼とは交流が続き、いつも内務班長当時の「班長」と呼んでくれてその都度近況を知らせてくれた。整備学校から操縦学生に進んだが,中途で操縦免となり、私と同じような道を歩み部内出身幹部として教育訓練の分野で大成していった。当時苦楽を共にした彼が、操縦学生に進んだのは「先輩に進められて」と語っていたが、私にはあまり記憶がない。

 そのようにいつの時代も「内務班長」と「班員」の関係であったが、私が航空総隊司令部人事部人事班に3佐・2佐で勤務した折、同部訓練班の1尉で一緒になり、人事部各班の次席としていろいろな面で協力し合った。

    部隊では基地業務隊長等を歴任したが、いつも明朗闊達、陣頭指揮、熱血漢で行動力・実行力に優れ、信義に厚い彼はいつの時代も「幹部自衛官、指揮官はどうあるべきか」」「指揮統率はいかにあるべきか」と、折に触れて便りに認めて、自ら率先垂範し、実践している様子が伺われ、求道の修練に励んでいた。

 あれほど機関車の如く馬力の合った彼であったが、病魔には勝てず私より早く旅立って逝った。彼らしく生前の遺志により防衛医科大学献体された。

  

2.糞と奮闘した輝ける業績

    故内野英昭君について、終生忘れえないことは、若い時代のことである。

 昭和32年10月時の整備学校長藤原一郎将補から総務課管理班に勤務する内野英昭君と竹内一敏君が2k(汚い・きつい)を越えた働き、基地及び学校運営に多大の寄与をした功績により5級賞詞を授与され、総務課全員が記念撮影した。

 どこにでもあるありふれた記念写真ですが、私には60年前のことが鮮明に浮かび上がるほどの隠された物語が思い出される一枚の写真でもある。

 昭和30年代のはじめ、創設期の整備学校は学生であふれ、トイレの糞づまりが毎日発生し一大事であった。総務課管理班は、管理事務どころではなく、支障個所を突き止め、糞づまりを排除する作戦が最大の仕事でした。

 管理班は班長と内野・竹内の両君の3人、内務班副班長・班長であった私が見ても二人の奮闘は見事なもので、「本当に優秀な隊員はかくあるべし」と終生忘れられない強烈なものが残っている。「一言も不平を漏らすことなく、黙々と任務を積極的に果たす不言実行型」の隊員であった。

 時の総務課長、豪傑の石原格太郎2佐(後年、将補・1術校長)は、糞と奮闘した両君の功績を取り上げられ、当時としては、入隊し教育隊を卒業したばかりで隊歴の浅い空士であっても階級を問わず真正面からその成果を賞賛し、青年隊員に奮起を促された。

 後年、こうした出来事は、私が幹部になって、部下隊員を育成する場合の具体的な指標ともなった。隊員に対する講話には昭和の航空自衛隊創設期の内野・竹内の両君の例を挙げて、空自が求める人材はこんな隊員であると話してきた。本当に名実ともに素晴らしい人であった。

 

3.  黙々と任務に邁進する部隊・隊員

 先般、フジサンケイグル-プ主催・産経新聞社主管、防衛所協力)の「第12回国民の自衛官」9人2部隊が表彰された。これは災害派遣や国際貢献などで著しい功績のあった自衛官を顕彰する制度であって、フジサンケイグル-プの卓越した見識に敬意を表するものである。

 最近になって、国民の多くも自衛隊・隊員についての理解が深まってきたが、諸外国の軍隊に比較するとまだまだ道遠しが実感である。

 自衛隊・隊員の活動状況、隊員・家族の生活ぶりや心情を知る手段として、一番手っ取り早く身近にあるものは、隊友会本部が発行する「隊友」と全国父兄会の発行する「おやばと」の新聞であろう。いずれも公益社団法人で毎月の防衛情報紙として、最も的確に状況を把握し理解できるものと言える。OBとなって25年 もたった老兵も最新の自衛隊・隊員の状況を知るうえで、両紙は非常に役立っている。

 勿論、政府の広報誌、防衛省のホ-ムぺ-ジ等の利用と合わせて、活用すればより理解し易いものだ。一般紙では得られない情報を知ることができるであろう。

 また、最近の防衛白書は、内容が充実してきており、話題となった部隊・隊員が登場した「COLUMN」「隊員の声」などが取り入れられて、その活躍の様子なども知ることができ、さらに理解を容易にすることができる。

 今日の自衛隊の活躍ぶりを見て、創設期の内野・竹内君のような仕事から始まって全国各地の基地・部隊において、国民の目には見えないところで黙々と任務を遂行する隊員によって、国民の負託にこたえる精強な部隊が形成されてきた。

 今日も明日も故国を離れた海外で国際貢献、北辺、南端の離島で24時間絶え間なく勤務についている防人がいて、今日のわが国の平和と独立が成り立っている。

 敬意と感謝の念で見守っている。

 

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 昭和33年5月  整備学校総務課内務班員の内野英昭君と副班長の小生、内野君は32年10月トイレ対処作戦の献身的な功績で学校長から表彰された。 》 

 

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 《 昭和32年10月空士の内野英昭君と竹内一敏君がトイレ緊急対処作戦の功績により学校長から賞詞を授与された。栄誉の表彰状を持つ右内野英昭君と左の竹内一敏君 》

 

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《 故内野英昭君を偲ぶ会は、テレビ局収録放映された闘病中のビデオ、上司・同僚の思い出などが披露され、同君の人生に思いを馳せた一日であった。》