昭和の航空自衛隊の思い出( 51)  空の勝利は技術に在り 

1.   空の勝利は技術にあり 

   昭和32 年4月 浜松基地にある航空自衛隊整備学校(現在の第1術科学校)総務課に勤務した。学校本部庁舎前の庭に昭和31年10月 建碑された「空の勝利は技術に在り」は、私の心に響くものがあった。

 航空自衛隊の創設期は、航空機整備等各分野の特技者を整備学校で急速養成中で学校全体がその意気込みで熱気に溢れていたからである。

 最初、空士長で整備学校に着任したひよこの私にとっては、昭和31年10月建碑された「空の勝利は技術に在り」は、物珍しさ程度であったが、学校総務課で勤務し昭和32年8月3曹に昇任したころから少しづつ全体が見えてきて松田武学校長の目指しておられたものが、一空曹の私にもわかってきた。 

   今や航空自衛隊の各術科学校は、教育体制及び内容が充実し、最新装備機材の教育訓練の殿堂となっている。いつの時代も最先端を歩んでいる。航空自衛隊創設期から整備学校(現在の第1術科学校)・通信学校(現在の第2術科校)が所在した浜松基地が「教育のメッカ」といわれるゆえんもここにあるのであろう。

 

 2.  石碑が設けられた理由

  松田学校長は、回想の中で石碑建立について次のように述べておられる。

 「 整備学校長として、第2次大戦の経験もあり、結局技術的に優れた飛行機を持ち、且つ整備補給が整然と続くことが、空軍戦勝の必須の条件であることは、身をもって体験済みであった。それ故に、とにもかくにも新空軍の地上部隊要員の教育は方針を誤らぬことが何よりも大切だと考えた。 

 「技術は戦術をも変革」することはすでに戦史が証明するところである。そこで教育のモットーとして、「空の勝利は技術に在り」と提唱することとした。

 これに共鳴した学生が、飛行場のどこからか大きな平たい石を見つけてきて、水兵さんの石屋さんがこのモットーを刻んでくれた。先日も見に行ったが、皆さんで大事に保存してくださっているので立派な庭の真ん中に立っていた。

 当時の防衛庁の航空機整備教育は陸海空一体で、全員この浜松の整備学校が引き受けていた。したがって制服は、カ-キ色、白色、空色の三色混ざっていた。」と記されている。 

 松田武学校長は、山口県出身、陸士39期、東京帝国大学工学部械工学科に学ぶ。東京帝国大学卒業後は、陸軍中佐、軍需省機械局産業機械課長、航空兵器総局附を歴任。

昭和37年4月~昭和39年3月まで第4代航空幕僚長を務められ、自動警戒管制組織を採用した。退官後は宇部興産に転じ、副社長となられ、宇部興産の傘下企業であった富士車輛を再建するなどの実績を残された。

  

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《 昭和32年10月  31.10建碑された「空の勝利は技術にあり」石碑のそばで撮影した。この石碑は整備学校勤務の中で非常に強い印象が残っている。なぜならば、この石碑の文言が教育の骨幹をなすものであり、若かったが総務課の一員として、整備学校を支える職員だと自覚と誇りを持ったものである。後年、幹部となり、要撃管制幹部・人事総務幹部・幕僚として勤務する折、常に「空の勝利は技術にあり」の至言を胸にし、文言の「技術」を幅広くとらえたり、別の言葉に置き換えて援用・活用したりしたものである。60年の歳月が流れてもこの石碑は光り輝いている。