昭和の航空自衛隊の思い出(50)  浜松航空隊歌の秘話

 1.  ヒット中のヒット曲「浜松航空隊歌」  

  本年は航空自衛隊創立60周年にあたる。翻って、昭和32年4月に私の最初の部隊等勤務となった整備学校(現第1術科学校)も9月1日60周年を迎えた。

 当時の資料をひもといていて、注目を引いたのが、学校総務課で一緒に仕事をしたOBの元防衛事務官松下泰男氏の「浜松航空隊歌の秘話と思い出」であった。本人からはしばしば話を聴いていたが改めて読み直してみた。

 航空自衛隊員で浜松に勤務した者、市民でも多少でも浜松基地に関わりのあった方はこの隊歌を知らない人はいないであろう。私の現役時代も宴会の締めはスクラムを組んで浜松航空隊歌を歌った。また、浜松の夜のスナック等で一般市民で多少でも自衛隊通を自認する人は誇らしげに全部を歌い切っていた。60年余の隠れた息の長い隊歌である。

 今でも浜松における隊友会・つばさ会・父兄会やOBの宴会の最後の締めに声高らかに歌われている。最近ではジェット機の映像を入れたDVDを使って腹から声を出して全員で合唱している。

 また、浜松基地に勤務したOB・故人の野辺送りでは参列者全員が棺を囲んで、「浜松航空隊歌」を合唱して送り出している。喜びも悲しみも全部包んでくれる世にいう「ヒット曲中のヒット曲」であろう。これほど今日まで歌われている自衛隊歌はないのではなかろうか。

   OB・故人の野辺送りにおける浜松航空隊歌については、ブログ:「隊友会活動(2) 浜松支部 隊友の野辺送り物語 2013.12.11」に記した。 

 

f:id:y_hamada:20131210150528j:plain

 《 浜松航空隊歌 》

 

f:id:y_hamada:20141107220823j:plain

《 昭和33年10月自衛隊記念日に撮影、整備学校(現1術校)総務課で駆け出しのころの松下泰男事務官と小生、人格円満で人に好かれ、防衛事務処理に抜群の能力を発揮した松下氏は部隊・機関の総務人事部門の他、航空幕僚監部の防衛・編成・業計・文書・職員人事管理官、防大図書館事務長等幅広い分野で活躍した。 》

 

2.   60年余も歌い継がれている浜松航空隊歌の秘話

 これほど60年余にわたって歌い継がれている浜松航空隊歌でありながら、作詞作曲等の経緯を知る人は少なくなってきた。このことに関して最も詳しいのは、同世代で整備学校総務課で一緒に仕事をした元防衛事務官松下泰男氏をおいてほかに語れる人はいないであろう。 

 松下氏の「浜松航空隊歌の秘話と思い出」を掲載する。要約すると、

❶ この歌は、昭和31年航空自衛隊整備学校創立1周年ごろに生まれた隊歌である。

❷ 創設当時の整備学校は、初代学校長・大谷三雄将補、副校長・布袋謙作1佐(30.3現在)を筆頭に、学校職員、学生を含めて2千人の規模に膨れ、米留帰りの教官、入校待ちの学生、陸上及び海上自衛隊の隊員も加わりすこぶる熱気に溢れていた。こうした中で、隊歌を望む声が自然に湧き上がってきた。

❸ 作詞は、升本清2佐(初代教材整備隊司令)、作曲は静岡大学教育部の木津文彦音楽科教授により制作された。総務課長・廣瀬宗夫3佐が木津文彦科教授と知り合いで、作曲が依頼されたと聞いている。

❹ この隊歌のお披露目は、昭和31年3月基地開庁記念式で、コロンビア専属歌手の加賀城みゆきさんにより歌われた。

❺ 当時のメロディは、やや演歌調であることから、自衛隊風に編曲したのが浜松音楽隊長松本秀喜1尉(初代航空音楽隊長)で、現在の「浜松航空隊歌」が誕生した。

(インタ-ネット・チュ-ブに流れる加賀城みゆきさんの浜松航空隊歌と私達が歌い継いできた浜松航空隊歌との違いはこの辺の事情から理解納得できる。》

 

f:id:y_hamada:20141109145217j:plain

f:id:y_hamada:20141109145003j:plain

f:id:y_hamada:20141109151103j:plain

 

 3.  浜松航空隊歌

     最新の浜松航空隊歌はDVDであるが、私の愛用は、航空自衛隊浜松基地第1航空団が作成した中部航空音楽隊演奏を収録したⅭⅮである。軍楽隊の演奏だけに勇壮で、時折声を出して歌うと思い出がよみがえり元気が出てくる。

 

f:id:y_hamada:20141110073118j:plain