昭和の航空自衛隊の思い出(40) 創設期の整備学校総務課

1. 創設期の整備学校総務課の主要幹部

 昭和30年6月入隊以来約2ケ年は操縦学生課程・英語・操縦準備教育・操縦課程と学生生活に明け暮れた。32年4月浜松基地の整備学校に整備教育を受けるために着任したが、しばし総務課でお手伝いをしているうちに、方向変換して学校職員として総務課に配置されることになった。

 ここで本腰を入れて、自分の新しい自衛官人生を築くことになった。当時の創設期の総務課の幹部について触れることにする。

 昭和29年9月整備学校編成から昭和35年までの6ケ年の創設期を対象とした。その理由は私が勤務した期間と前後についてのみに絞ったことによる。当時のわずかな資料等を参考にして主要幹部の一覧を作成してみた。何といっても55年前のことで、下っ端の一空曹であったから記憶違いがあるかもしれない。

 直接指導を受けた上司は、総務課長の石原格太郎・鶴田千秋・岩月良行の各2佐と総務班長の曽我俊一1尉・牟田善次3佐で、当時元気溌剌と探求心旺盛・習得意欲に燃えて薫陶を受けた。

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2. 特に印象に残った総務課長等の指導

❶ 石原格太郎2佐は、仕事の仕方や業務改善の在り方について課員を督励された。例えば、チャ-トに色を塗る場合で色鉛筆を使うのではなく、当時黒板が主流であったので、チョ-クが短くなって使用しなくなったものを使って色を塗ったりする実例を挙げて、身近な業務の改善をするよう指導された。 

 要するに、発想の転換や創意工夫、物事の視点をいろいろな角度で見て考えよ、固定観念や前例で処理することなく、新しい視点で対処せよと強調された。

 自ら実行されているのに接し、若い私は見よう真似ようで感化されたものであった。こうした経験からどの職場に行っても業務の改善には人一倍努めるようになった。自衛隊を退官して自算会でも常に業務改善を提唱実行することにつながっていった。石原課長は将補に昇進され第11代整備学校長に就任された。 

❷ 鶴田千秋2佐は、豪快でおおらかな方であった。それが内務班長に就いて間もないころ、内務班員の大部分が所定の昼食時間より前に食堂に行ってしまい、「内務班長はどのように指導しているのか」と烈火の如く、厳しく指導をうけたことがある。

 更に、内務班長は、一緒に班員と起居を共にしているのだから「班員のケツの穴がどうなっているか」ぐらいまで、内務班員を掌握せよと気合を入れられたのだった。福田正雄先任空曹がとりなしてくれた。

 要するに、経験が浅い内務班長にはっぱをかけて「精進せよ」とのシグナルを発信されたのだった。爾後、特に課長からは一切内務指導について指摘を受けることはなく、先任と内務班長に任され、いつもにこにこしておられた。

 後年、人事幕僚として、人一倍に青年隊員の服務指導について関心を持ち、若手幹部を対象にした「服務指導研究会」を設けて具体的な事例研究等を推進し指導能力の向上を図ることにつながっていった。  

❸ 岩月良行2佐は、温厚な方で部下隊員の接し方や取扱い方について指導を受けた。校内のタイピストの集中管理と業務の効率化推進等女性職員の仕事の進め方について担当を命ぜられた。

 こうした経験から人事幕僚として、自衛隊における女性事務官の能力拡大の視点から管理職への登用や女性自衛官の職務の拡大等について、積極的に提唱と実行を試みてきた。今では当然のこととして受け止められてきたが当時はさまざまな困難を切り開くことが必要であった。自衛隊を退官して自算会でも一般女性職員の損調職への推奨を図ったりすることにつながっていった。 

❹ 総務班長の曽我俊一1尉からは、命令・規則等の起案要領などの指導をうけた。

牟田善次3佐からは起案の一字一句に至るまで推敲する旨の指導を受けた。

 

3.  空曹の 資質能力と活用

 空曹先輩諸兄の指導については、次の機会に項目を変えて触れたい。

 創設期における総務課は業務が多忙であった。当時総務班は幹部が班長だけであり、業務が広範囲で多忙を極めており、ネコの手も借りたいほどであった。空曹が分担して高度な業務を遂行する場面が多かった。今日幹部が処理している分野の仕事まて空曹が担当処理したわけである。

 特に、先任空曹福田正雄1曹の識見能力・判断力・決断力・実行力・指導力と課長・班長の補佐は見事で「これぞ大先任」「先任空曹のあるべき姿」を学ぶことができた。

 そのことは、航空自衛隊の空曹の資質能力がいかに高いかを示すものであった。その時と場を与えれば、多くの場合それなりに能力を発揮するもので、後年、「准尉・空曹・空士の位置づけと地位の向上」などの課題に真正面から取り組むようになったきっかけは、この時期の整備学校の総務課勤務の経験にあった。

 当時、2等空曹の私が、総務班長の指導の元、学校全体の水泳大会、運動会などの企画・調整・計画の作成等をする機会を与えられた。一事が万事こうした状況であったことから、後年、部隊における空曹の存在と活用について特段の関心を持ち、実行につなげることにした。

 

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 《 昭和33年6月 総務課全員の記念撮影 課長鶴田千秋2佐囲んで 》

 

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 《 昭和33年12月 総務課忘年会 課長鶴田千秋2佐を囲んで  》