浜ちゃん日記 高齢者の健康と車の運転

1.優雅な生活を支えるもの

   今、私は自分の思うがままに生活している。非常に快適な毎日を過ごし、人生で最も優雅な暮らしがもてる時期かも知れない。

    その根底にあるものは、がんとの闘いがあるとは言え、普通に何不自由なく身体が動くからである。

    自分で車を運転できると、どこにでも自由に行ける。自分の思い通りの行動の選択ができる。

 

2.車の運転の便利さのもたらすもの

    その中で何といっても日常生活で何らの制約もなく車で買い物に行けるということが一番の便利さであろう。

    他人の状況を見ていても、ひとたび運転ができなくなった高齢者の家庭の買い物はどんなに不自由であるかを知っているからである。

    とりわけ、田舎に住んでいると、若い人たちとの同居がない家庭は日常的なことであるだけに深刻な問題となってきている。

    最近は、郊外に大型販売店、スーパーができて便利であるが、高齢者で車の運転ができない家庭はこれを十分に享受出来ないからだ。

     毎回、タクシー等を利用するわけにもいかないこともあるのであろう。その点からも,いつまでも健康で運転が出来る状態でいたいと思う。

     車がダメになれば、バス、自転車、歩いての選択となるであろう。

 

3.   頭の中を横切るもの

    いつの日か、運転免許証を返納する日がやってくることは間違いない。それなりの環境におかれれば割り切って、新しい対応が生まれるであろうか。ふと、こんなことが頭の中を横切ることがある。

 歳を重ねるにつれて、普段のなんでもないことが本当は幸せであることに気付く。その基盤は自分の意志で自分の身体で動くことができることにある。

 台風一過、朝から2時間ほど町内の健康広場でグラウンドゴルフをした。ボ-ルの一打一打に笑いあった。