昭和の航空自衛隊の思い出(37)   大空に魅せられた随想

1.   大空に関する随想

  昭和31年10月から32年3月まで、山口県下関市の小月基地に所在する第1操縦学校で学んだ。そのうち32年1月から3月まで初級の操縦課程を学んだ、訓練は約3カ月で、身分は第1期の「操縦学生」、階級は空士長で21歳であった。

 わずか3カ月間の操縦訓練であったが、戦闘機操縦者になりたいとの大空への夢を実現しようと毎日が真剣な青春時代であった。Tー34練習機の単独飛行寸前で、「操縦免」となったことからか飛行日誌等操縦に関する当時の資料は全く残っていない。多分、心機一転して出直すためにすべて破棄したのであろう。

 第1操縦学校在学中のことは、わずかな写真と変色した一冊のノ-トが残っているのみであった。それは操縦訓練で感じた大空に関する随想であった。飛行訓練の合間に、大空から見た下関の風景、大空を飛ぶことの魅力の一端を記したものと思われる。誰かの文章を引用したのか、どうしてこんな文章を書いたのか思い出せないが、しっかりと万年筆で認めたものである。

 58年前の随想を読み返してみると、21歳の若い時の情景が浮かび、こんな所感を抱いて操縦訓練に励んでいたのかと、なるほどと深く納得いくものがある。

 また、随想を読んで、武骨な青年であった自分が、若い時は意外に繊細な感情を持ち合わせていた一面を知り我ながら驚いた。 

 最近は、ジェット機の時代で誰でも国内外を旅客機で移動し、空の旅を楽しむ時代となった。自分が操縦して飛ぶのとお客として空を飛ぶのとでは随分と感覚的にも違いがある。後年、要撃管制官となって、ジェット機に同乗したときの感覚や思いとはまた異なったことを思い出した。

 末尾に【58年後の所感】として現在の所感を記した。

 

2.初めて大空を飛ぶ

    澄んだ空で飛行訓練するのはすばらしい。いつ見ても目の醒める美しさで押し寄せてくるからである。下関市の西の風景は上等の織物の上を飛ぶ感じである。

 いつの間にか心は童心に帰っていける。北野教官はいろいろな体験をさせてくれた。ある人は、大空を飛ぶことについて、漢詩を添えて感想を表している。

 爆音朗々、忽ち離陸す

 頭を廻せば、四海足下に在り

 痛快爽快 言語に絶し

 漂々乎々にして 天上に遊ぶ感

 【58年後の所感】

 始めて空を当時飛んだ時の素直な気持ちが記されているように思った。訓練空域は有視界飛行であり、毎日所定の課目をこなしていった。わずか3カ月間の操縦訓練であったが、短期間のうちに多くのことを学んだ。この漢詩に自分の思いが詰まっていると思ったのではないかと思われる。今読み返しても共感を覚える詩ではなかろうか。

 

3. 飛行機から見る風流

 風流人が窓辺の一草を賞で、花の下にそぞろ歩きして詩句をひねる。それに比べると、飛行機から見る風流は段違いのスケ-ルである。時々刻々と視界が光線を変え、雲と碧空とを配した壮大な山並みを望み見ては、誰しも文明の利器、飛行機の発明を感謝したくなるにちがいない。

 一切の苦しみや悩みや、ため息をつきたくなるような下界の濁った空気に疲れたとき、又、自分の醜さ、人間臭さに気づいて、何となくがっかりして自己嫌悪に陥った時などに、いつもの調子で飛び上がった空で、次々展開する山々の壮麗な風光に接したら、一切のシコリは忽ち氷解して鼻歌の一つも出そうという気持ちになるに違いない。

【58年後の所感】

 飛行は訓練空域への往復は水平飛行で天地をじっくり眺めることはできる。地上から見た自然に対するものと上空から眺める違いを「風流」という視点・表現でとらえていた新鮮さには驚いた。厳しい飛行訓練の合間に感じたことを綴ったように記憶している。「自然が人の心を癒す」ことは天地に差異はないのではなかろか。若き時代に新鮮な情感を持っていたのだと安心した。】

 

4. 先輩パイロットの随筆「四季の大気」

   先輩のあるパイロットは自分たちにこんな随筆を綴っている。

 「日本の山々を空より駆け巡ってみたいものである。美しいであろう。この四季の美しさは自分の操作を滑らかにする以上に情操にとってどんなに慰めになるかもしれない。

 春の大気には、何となく柔らかみと親しみをがある。霞は視野を妨げはするが、若芽は萌えて、緑一色に、大地のところどころに配した花に降り注ぐ太陽光線は、ほのぼのと筋肉を解きほぐして、空飛ぶ人たちの心にゆとりを持たせてくれる。

 あゝ、何と空とは神秘なものだと思ったりする。花去れば夏である。灼熱の空には積乱雲を中心とした数限りない形の雲が湧いては消え拡がっては流れ、文字通り音のない群舞を見せて、風景に彩を添えてくれる。この大気はいわば男性的な逞しい匂いに満ちている。男性的な逞しい匂である。

 澄み切った透明の大気の秋が来ると、山々に燃え出ずる錦繍の紅葉は神秘の色のハーモニーとなって、自然の醸し出す美しい詩を描く。しかも五彩色に飾られた大気は芳酵な香りを感じさせるであろう。

 早い奥羽の紅葉を見て1か月2か月、みちのくの山々がうっすらと雪化粧する頃、同じ日に九州では全山の紅葉の上を飛べるとはなんと素晴らしいことである。」

 僕が幾度となく経験した冬の飛行訓練もまた印象深い。山々の頂を一朝ごとに白い雪が積もっていき、大地は真っ白である。それだけに冬の大気は熾烈である。

 晴れ上がった冬の日、輝くばかりの白銀に光る山々を遥かなる空から眺めたら、何か近寄り難い冷徹な威厳に打たれるであろう。

【58年後の所感】

 初めてあこがれの大空に飛び立ち、天空を飛行して感動した思いを「先輩パイロットの随筆」の中に見出したのではなかろうか。当時はレシプロの時代であり、先輩のこの随筆も同じころのものではなかろうか。21歳の私が感動したものと同じ経験をしている先輩の随筆に共感したことが読み取れる。航空自衛隊の創設期、わが青春時代にこのような天地に対する感動と貴重な体験したことは、自衛官人生において至る所で役立ってきたのではなかろうかと思う。

 

5.  自然を愛する眼を開かせてくれた

   冬は気流が悪い。特に山岳地帯には悪気流が眼に見えない落し穴を作って住んでいる。ガタガタのオンボロ自動車の如くである。

 飛行機は自分に自然を愛する眼を開かせてくれた。狭さからずっと大きなものに変えてくれた。

【58年後の所感】 

 表現は舌足らずのところがあるが、初めて飛行機に乗り、空中から自然を見てその美しさ、神秘さの一部分を知ることができた思いを綴ったのであろう。人の世界は狭いが宇宙全体からみるとちっぽけなものだ。自然界について若い時代に、飛行訓練を通じて多少でも関心を持ち学んだことが、その後の私の人生に影響したように感じている。

 自衛隊退官後、地域の自治会長についた時、町の花いっぱい活動を始め今日も続けているのも、青年時代のこうした経験が絡んでいるのかもしれないと思うことがある。

 

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 《 昭和32年始めのころ、小月基地で飛行訓練中に綴った地方新聞の切り抜き、春シリ-ズ海・山・街と文と挿絵から成り、私の心をとらえた。》

 

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《 昭和32年1月~3月第1操縦学校で初級操縦課程に学ぶ。T-34・メンタ-操縦訓練で飛行準備完了し前席に搭乗したところ 》

 

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 《 プロペラ練習機 T-34・メンタ- 前席学生、後席教官 》