浜ちゃん日記 「エアフェスタ浜松」・浜松基地60周年記念とブル-インパルス

1. 空自・浜松基地開庁60周年記念祝賀広告  

 

 9月27日(土)今朝の静岡新聞中日新聞に全面カラーで浜松防衛団体連合会の「空自・浜松基地開庁60周年記念」祝賀の新聞広告が掲載された。

 これは、浜松防衛団体連合会の構成団体の会員からの多大な芳志や地元企業の協賛を得て行われたものである。富士山を背景に浜松を象徴するB-767早期警戒管制機、U‐125A救難捜索機、T-4中等練習機の編隊飛行に祝意を込めたた素晴らしいものだ。

 かって、浜松防衛団体連合会の結成に副会長・相談役として関与した一人として心からお祝い申し上げます。私も隊友会及びつばさ会の会員としてささやかであるが寄付をした。事前に防団連事務局長石原敏和氏から広告のデザイン等を見せてもらったが、浜松基地を支える浜松防衛団体連合会が設立の趣旨を堅持して活躍されていることに心から敬意を表するものである。 

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 《 静岡新聞中日新聞朝刊の一面を全部使ってのカラ-広告、浜松防衛団体連合会ならではの浜松基地・隊員への暖かい支援であろう。》

 

2. 浜松基地航空祭とブル-インパルス

 浜松基地航空祭は、「エアフェスタ浜松2014」が正式な呼び方であるが、私としては、創設当初から市民に親しまれてきた「浜松基地航空祭」というのがすっきりして心地よい。

 平成2年に退官して以来、毎年航空祭には訪れてきた。何といっても、ブル-インパルスがみんなのお目当てであろう。ブル-インパルスは浜松で誕生したからだ。

 遥か昔の出来事となったが、昭和39年10月10日東京オリンピック開会式の国立競技場の上空に五輪を描いたブルーインパルスが当時の全国民の脳裏に焼き付いている。

   私にとっても、航空自衛官生活で切っても切れないものがある。なぜなら、50年の歳月が経つても語り継がれる 時代の英雄となったブルーインパルス5名とは、同じ時代を生きてきたからである。しかも3名は同期生であったからだ。

   松下英治隊長、舟橋契夫氏のほか 淡野徹君、藤縄忠君、西村克重君の3名は、第1期操縦学生の同期生である。同期が今もなお国家的偉業として語り継がれていることに大きな誇りを感じている。浜松の航空祭に訪れるたびに、ブルーインパルの雄姿を見るにつけ、第1期操縦学生の存在は航空自衛隊のみならず、日本の民間航空にとっても大きな貢献をしたと言って過言ではなかった。

 

3.ブルーインパルスにおける航空学生の活躍

 航空自衛隊浜松基地の「エアフェスタ浜松2014」は、明日28日開かれる。今年は自衛隊創設と浜松基地開庁60周年を記念し、T4練習機に特別な塗装を施した2機を公開するなど、記念行事としての要素を盛り込んだと報道されている。
 新聞報道によると、「浜松市出身の航空学生出身のパイロットが編隊長を務める「ブルーインパルス」の曲技飛行も予定されており、盛り上がっている。
  全国でアクロバット飛行(展示飛行)を披露する航空自衛隊の「ブルーインパルス」(第4航空団第11飛行隊、松島基地)は、空自の戦闘機パイロットから技量や人格などを考慮して選抜されるこの精鋭集団の1番機で、飛行班長として活躍しているのが浜松湖東高校出身の友田要3等空佐(42)だ。ブルーインパルスは28日の「エア・フェスタ浜松」で展示飛行する予定で、地元の声援を受け、友田3佐は故郷の秋空に凱旋(がいせん)のシュプールを描くことになる。

 友田3佐は、昭和47年1月、浜松市生まれ。積志中学、浜松湖東高を卒業後、空自の航空学生(航学)となり、厳しい操縦課程を進んでパイロットの称号「ウイングマーク」を獲得した。築城基地新田原基地などでの実任務を経て、全国から10人のみが選抜されるブルーインパルスの一員となったのが平成24年3月とある。」

同君の活躍を祈る。

 

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  「エアフェスタ浜松2014」のパンフレット 》