昭和の航空自衛隊の思い出(30) 私にとっての第1期操縦学生基本課程 

3.操縦学生基本課程が私に与えてくれたもの

    昭和30年1月から平成2年4月の定年退官までの35年余の自衛官生活において、航空自衛隊「操縦学生基本課程」(昭和30年6月2日~31年3月24日)は私にとって最も心に残り血となり肉となっていったように思う。

    自衛隊勤務でその時々にあらゆることが有意義であったが、最初に学んだ航空における「操縦学生基本課程」の時期は、自分自身にとって精神的にも肉体的にも、他のことと全く違ったものがあった。  

  それは、陸上自衛隊の新隊員教育の時とも違う、その後の各種の課程入校の時とも違うものがあった。

    それはいったい何なのか、まとめてみた。

❶ 人生の本格的な出発の時期であった。

 高校を卒業し、陸上自衛隊を経て、自分の人生が本格的に始まるという自己意識が最も高かった時期であったように思う。まさに青春時代の出発点であった。

❷ 大空への夢が同じ者同志であった。

 操縦学生として集いし同志が、「パイロットになりたい」との操縦学生採用試験受験の動機や将来の目標が全く同じであった。  

    操縦学生基本課程では、将来の操縦幹部としての素地と基盤を修得するという目的が同じであった。

❸ 厳しい教育訓練と同期の絆があった。

 制度的にも教育環境も十分ではなかったが、ほぼ同じ年齢で、苦楽をともにし、教育訓練を受けているうちに1期生の誇りと同期の絆が生まれてきた。基本課程の10ケ月は実に同期生との切磋琢磨と絆を固めるのに十分であった。

 ❹個性豊かな逸材・人材と交わった。

    創設の組織にあって、1期生はユニークな個性豊かな人材の集まりであつた。自由闊達な雰囲気の中でお互いが交わり自然に相互に感化を受けてきた。

 ❺将来発展の基盤となるものが培われた。

 短期間ではあったが、自衛官として将来発展する基盤となるものを与えられ、学びとることができた。これらは教育訓練・起居動作の中で培われ、空曹・幹部時代を通してその原点は操縦学生基本課程にありと自認してきた。

 

 * 参照 

 「操学1期の男たちの功績」については、航空自衛隊第1期操縦学生(14)に記した。

  第1期操縦学生徳田忠成君が編集した「天翔ける群像 第1期操縦学生の軌跡」(発行日 平成17年8月31日、編集責任者 徳田忠成、出版社 株式会社 ジョス)の「巻頭言」で元航空幕僚長統合幕僚会議議長杉山蕃氏は「雄々しき男達」と題して「操学1期の功績」を三つ挙げ,高く評価された。

  また、「第1期操縦学生基本課程」における教育訓練・起居生活等については同期生諸氏の著書に詳しく書かれているのでふれないこととした。

 

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 《 昭和30年山口県防府市中ノ関に展開する防府南基地の全景 》

 

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 《 昭和30年入隊当初、2士の階級章を着けた。教室も、自習室も裸電球、扇風機なしで机も2人掛けで質素なものであった。写真からも伺い知ることができる。》

 

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 《 昭和30年6月入隊し、蚊帳を張る支柱があるところから7〜8月頃と思われる。居室は全員2段ベッドであった。私は上に寝た。当時としては2段は普通であった。あらゆるものがまだ未整備の時代であった。両側に落下防止柵がつくようになったのはかなり後だったように記憶している。創設期の増勢の時代だった。》

 

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《 下関方面の行軍1泊2日 第3区隊の青春の顔々、60年後の今から見ると,この写真の中に、飛行訓練中に殉職した者、退官後病気で逝去した者がおり、在りし日の青春の日々が思い出され惜しまれる。写真一葉の中にもそれぞれの人生が凝縮されている。》

 

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 《 初めて拳銃の実弾射撃訓練をした。》 

 

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《 実弾射撃訓練  山口射場にて》

 

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 《 戦闘訓練,防府北基地の広大な飛行場を走りに走った。》

 

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《 入隊から16年後に全国の同期生が市ヶ谷に初めて参集した。各々が歩んだ人生は異なったが,みんな34〜36歳になり、将来方向も生活も安定し,青春時代を顧みることが出来るようになった時期である。入間基地在住の現職組が中心となって同期生会の幹事役を務めた。》