昭和の航空自衛隊の思い出(26) 再就職・自算会応募(受験)にあたって思うこと

その時何を考え立ち向かったか      

    昭和の航空自衛隊の全体像を私ごときが語ることなど毛頭考えてもいないし、出来ることではない。
    大組織にあって、一隊員の勤務経験などたかがしれているが、私が歩んだ足跡を基軸に自衛官人生を綴ることはできる。
    その主点は昭和の航空自衛隊に勤務した当時を回想し、自衛官の勤務経験と生活を軸に、どのように勤務し、どんな問題と取り組み、何を考え、行動したか。どんなことに悩み、立ち向かったかなどを「昭和の航空自衛隊の思い出」として綴っている。
    「自算会応募(受験)にあたって思うこと」は、今から25・6年前の航空自衛隊の定年退官(平成2年4月)が近づいたころに記した所感である。
 自衛隊定年後の再就職については、民間会社などの選択肢があったが、最終的には自衛隊における勤務と全く関わりのない仕事を選んだ。それは特殊法人自動車保険料率算定会調査事務所」(現在の自動車保険料率算出機自賠責調査事務所)であった。
 その大きな理由は、
❶引き続き社会的な仕事をしたい。(自動車社会に貢献=クルマ社会の安定ために自動車保険は不可欠=自賠責保険の公正、適切かつ迅速な保険支払いにつながる公共性の高い意義ある仕事である。)
❷仕事の内容や特性が自分の性格に合っている。(先輩たちの話を聞いて、損害調査等の業務は自分の能力、性格、健康等から何とかやれそうだと確信した。)
❸今まで経験したことのない全く新しい分野に挑戦できる。(過去の職歴・地位に関係なく、全員が平職員から始める。自衛隊勤務で、新しいことへの挑戦は慣れており、全く未知の分野で再度試してみたかった。)
 これらの背景には、当時、自算会の取り扱う損害調査件数が年間約100万件。組織は地区本部9、調査事務所70、支所2、人員2,228人であり、陸海空の自衛隊から定年退職した幹部が多数就職し、実績を残していたことがあった。
 特に、航空では、私が尊敬してきた先輩の中山幹雄氏・深谷満雄氏・早田匡之氏・片野奐氏・酒井寛治氏が各調査事務所に勤務しておられ、後に続けられたらと心が動かされた。
 入社試験は、東京から静岡へ出かけ、課題作文・適性・性格検査・面接試験を受けた。会場いっぱいいた受験者は入社してみるとわずか6名ばかりであった。
 
 「自算会応募(受験)にあたって思うこと」
1.次なる人生の出発点の選択
 私は、高校卒業後自衛隊に入隊し、今年で34年間の勤務を全うし、来春定年を迎えるが、定年は人生の一つの通過点である。
 自分の人生の主活動期を自衛隊を舞台に充実した生活を過ごすことができた。定年を控えての今回の自算会の受験(応募)は次なる人生の出発点の選択であり、実年時代の始まりである。
2.引き続き社会的な仕事をしたい
 自衛隊勤務は、防衛という立場から国家・国民に奉仕する仕事であった。第2の人生も引き続き社会的な仕事に従事し貢献したいと考える。
 自算会の仕事は、自動車社会においてなくてはならぬ仕事であり、公共性の高い意義あるもので、私の願望にぴったりである。ぜひ採用してしていただきたい。
 
3.仕事が自分の性格・能力等に合っている
 自衛隊OBで自算会に勤務している先輩たちの話から自算会の仕事の内容、特性が自分の性格・能力等に合っていると考える。
 自算会の仕事に求められる資質能力は、誠実・責任感・積極性・協調性・健康等であると考える。自衛隊勤務における実績等から割合すんなりと入りこなしていけるのではないかと確信している。
 

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《 平成2年4月1日退官、4月2日自算会入社し、名古屋の中部地区本部で行われた入社式で辞令を交付された。引き続き1週間の新入損調職員の教育をうけた。一般調査員として静岡、浜松調査事務所に勤務し、数年後課長、静岡及び浜松の所長となり調査事務所の転換期に統合業務、事案処理の改善等に取り組んだ。自衛隊時代同様にどこに行っても新しいことに取り組む機会を与えられ元気が出た。 》