昭和の航空自衛隊の思い出(22)   課程修了記念の一句プレゼント

かんめいその時何を考え立ち向かったか      

    昭和の航空自衛隊の全体像を私ごときが語ることなど毛頭考えてもいないし、出来ることではない。
    大組織にあって、一隊員の勤務経験などたかがしれているが、私が歩んだ足跡を基軸に自衛官人生を綴ることはできる。
    その主点は昭和の航空自衛隊に勤務した当時を回想し、自衛官の勤務経験と生活を軸に、どのように勤務し、どんな問題と取り組み、何を考え、行動したか。どんなことに悩み、立ち向かったかなどを「昭和の航空自衛隊の思い出」として綴ってみたい。
  「課程修了記念の一句プレゼント」は、今から25・6年前の航空自衛隊の定年退官(平成2年4月)が近づいたころに記した所感である。

   自衛隊勤務は、主として部隊であり、教官配置は最初にして最後であった。それは、昭和56年8月から58年3月まで航空自衛隊3術科学校(福岡県・芦屋町)に教育科長として勤務し、人事総務・要務・教育技術を担当した。

    各級部隊・司令部勤務の経験を生かして、教育現場に立ち後輩に人事実務の精神とポイントを語り伝えたいとの思いで希望した配置であった。わずか1年半であったが、長年温めてきた人事業務について精魂を込めて後輩の教育に専念した。それだけに、とりわけ思い出の多いところである。

 課程修了者全員に、私のアイディアで卒業記念に「心のこもった暖かくてとても鋭い一句」をプレゼントをした。

    このアィディアは、すでに小松の第6航空団司令部、浜松の飛行教育集団司令部勤務で、誰もが認める人柄、日ごろの仕事ぶり、業績、特色などをあらわす句の中に氏名を織り込んだり、川柳的なものにしたりしたもので、その気になれば誰でもつくれることなど確認したもので自信をもって実行した。

 部隊では、自分以外の者について何句か作ってもらい、各人についての秀作を年末の忘年会等に「勤務評定」と称して発表したりした。その場で披露するとびっくりと爆笑の連続で随分と盛り上がった。

 送別会等では、当人をよく知る人たちに一句作ってもらい、当日発表し、作品集をプレゼントするなどした。写真は定年退官パ-ティの一コマである。

 学生に関しては、課程主任を中心として全教官が知恵を出し合って、寄り寄り内容になるよう努めた。これも,私の「タイムカプセル」の「課程修了記念の一句プレゼント」である。

 

「課程修了記念の一句プレゼント」

1.ガンコ科長の方針

 第3術科学校においては、教育部第4科長在任間(平成56年8月から58年3月)、第4科が担当する課程に入校した学一人ひとりに対して、卒業記念にとして、課程主任が「さよならパ-テイ」の席上、一句をプレゼントするのを恒例とした。

 第4科が持つ課程は、当時年間、人事幹部2コ-ス、上級人事1コ-ス、初級人事2コ-ス,要務特科3コ-ス、幹部教育技術、空曹教育技術の各コ-スであり、教官としては教育のほかいっくら作りが加わってかなりハ-ドな負担となったと思われるが、私は着任前から温めていた「ガンコ科長の方針」を終始貫徹した。

2.在校間の思い出を作る

 これは、本校に入校する学生は、主として人事職域の業務、部隊の先任空曹の要務を習得するために、各人各様ひそかに決意を胸に秘め修学に励むものだ、在校間の思い出を一つでも多く作ってあげたいとのと思いと卒業後も同期生とともに苦楽を共にした第4科で学んだ課程をときには思い出すよすがになればとの願望を始めたものであった。

 人事総務等の教育担当者として、術科学校と部隊との架け橋を築き、いつまでも緊密な関係を保つには、教官としてはそれなりの努力が求められるとの考えによるものであった。

3.学生一人ひとりにあった一句づくりの苦労

 そうはいっても、学生一人ひとりに合った一句を作ることは言うは易くで、実際のところ大変きつい作業であったが、わがまま科長の意をくんでくれて課程主任はじめ全教官が知恵を出し合って、各人にぴったりの句が出来上がった時の喜びは格別であった。

 その陰には涙ぐましいほどの努力があった。入校から卒業まで教官は目を皿のようにして、教場、授業態度から居眠りまで、時には芦屋の町における夜の振る舞いなど授業・珍事などの情報をメモしておいて句作りの材料とした。

4. 教官と学生の一体化

 最初のうちは、一句を作るのも特定教官が作ったりしたが、いつの間にやら我も我もと関心が高まり、多くの教官が自然に加わり、できばえも一段と冴えたものができるようになった。

 教官にとっては、学生一人ひとりの個性や特徴をよく把握するようになり、教育にも反映され、教官と学生の結びつきが一層強くなってきた。

5.一句に託した暖かい励ましと将来への期待

 一句に託した学生一人ひとりへの 文句は、その学生の人物像を浮き彫りにし、時には本人が全く気付かないところを鋭く観察しているだけに意外性もあり、ものすごく好評であった。

     学生に贈る一句の作品作りは、あくまでも学生を暖かく育て見守ることを 基本とした。

 科長から色紙ならぬ 半紙(B4版)に書いた一句を受け取るときの学生の顔は喜びいっぱいであり格別なものがあったように思う。

    たかが一句といえども一句を通じて、学生一人ひとりに寄せる教官全員の暖かい真心と将来への期待が込められていた。

 

後藤悟准空尉の定年退官パ-テイ(昭和59年3月若松西鉄ホテル)

f:id:y_hamada:20140903225111j:plain

 《 花束を手にした後藤夫妻 》

f:id:y_hamada:20140903225353j:plain

《 私が贈った一句・後藤悟・絹子夫妻の名前を入れて、人事一筋で生き字引的な大准尉後藤教官の業績をたたえたもの、精魂を込めて教えたことは学生に引き継がれていくものだ。「後輩へ捧げし情熱実を結び 藤は繁り花開く  教えを悟る絹の真価 学びし子が継ぐ人事」

 

f:id:y_hamada:20140903225235j:plain

《 何を話したか忘れたが、送り送られる者ともに笑顔であった。3術校4科でともに教育に従事した仲間だ、転勤先から駆け付けた。》

 

f:id:y_hamada:20140903235606j:plain

f:id:y_hamada:20140903225111j:plain 《 第3術科学校第1教育部長浜島誠1佐と一緒に唄う。》