1.第1期操縦学生会
第1期操縦学生が昭和30年6月2日航空自衛隊に入隊して、早59年の歳月が経った。
今年も入隊記念日に東京グランドヒル市ヶ谷で総会・懇親会が開かれた。来賓の豊釜勇区隊長と参加者32名であった。来年は、入隊日の6月2日に、入隊60周年同期会を浜松で開催することとなった。これまで、入隊記念の十年等単位の節目ごとに東京・防府・浜松で記念の大会を行ってきた。次の浜松の大会は一番大きな節目となるであろう。
振り返ると、初めて全国の同期が東京市ヶ谷に参集したのが、昭和42年6月、自衛隊現役、民間航空等でそれなりに仕事も安定し、将来を見通せるようになって、12年経ってようやく同期会が結成されることになった。
それまではそれぞれのグループでの活動はあつたが、操縦学生基本課程で学び、同じ釜の飯を食い、ともに厳しい教育訓練に汗を流した同期の強い絆が同期生会の出発なった。
以来、毎年、同期生会は東京で開催され、昭和55年第1期操縦学生会として会則を設け正式に発足するに至った。
会長は区隊ごと順番で就任し、在京の常任幹事が会の運営を行ってきた。会長は4区隊の黒田功君が1年間の任を終えて下番し、1区隊の小林誠君が上番・就任した。
いずれの会も同じであるが、同期会の常任幹事山田繁君と馬場雍君の長年にわたる献身的な世話人がいて円滑に運営することができた。陰の功労者である。
2.今後の同期会の方向
3年前の同期会から将来の同期生会のあり方を検討することとなり、大きな方向性を見定めるに至った。その背景は、皆が有る程度しっかりしているうちに区切りをつけて、新たなる発展につなげて行こうという発想であった。
その時期は、同種の戦友会、同期会等の状況を見聞するにつけ、概ね80歳となる入隊60周年にしようと決めた。これで終わりではなく、その後は地区別の同期会へ移行し、新しい方式で、できる範囲で進めて行こうとするものである。
3.1期生の育成に尽力された豊釜勇 区隊長
59年前の隊長・区隊長で同期会に臨席いただける恩師は、豊釜勇区隊長のみとなつてしまった。
豊釜区隊長は、「がまさん」の愛称で、今もって1期生から親しまれてきた方である。時には厳しく、優しく本当に愛情をもって学生の育成に精魂を込められた思いが満ち溢れていたからであろう。
豊釜区隊長は、昨年おいでいただいた後、大病を患われたが克服されて今回6月2日の総会、懇親会にご臨席くださった。ありがとうございました。
4.参加出来ない同期生が多くなった
60年前、全国から選ばれて山口県防府の地にはせ参じた若武者の集団・第1期操縦学生は、日本の空は俺たちで守ると意気に燃えて切磋琢磨し、航空自衛隊はもとより民間航空においても創設建設期において活躍し、見事にその役割を終え、すべて現役を引退した。
傘寿・80歳が近くなると毎年歳を重ねるに連れて、総会・懇親会に参加したくても、諸般の事情から参加できない、欠席せざるを得ない同期生が多くなった。
同期生が一堂に会することは難しくなったが、同期の絆は今も固く結ばれている。
同期生会の状況
《 航空自衛隊第1期操縦学生 全員喜寿を過ぎ傘寿・80歳を迎えようとしているのに、青年の如くいまだ意気高し 》
《 豊釜勇区隊長から恒例の通り訓辞(挨拶)をいただいた。 》
《 歯切れの良い元気な会長黒田功君の挨拶 》
《 同期生会役員・常任幹事の山田繁君の司会により進められた。 》
《 同期生会役員・常任幹事の馬場雍君の会計報告 》
懇親会風景
《 話が尽きることのない同期生会 》