浜ちゃん日記  初盆の送り火に思う

1. 初盆の送り火

 今日8月15日は初盆の最終日、13日にお迎えした母の御霊を夕方親族が集まって送り火を焚いて送り出した。お盆の間、親族が集まると故人のいろいろな思い出話に花が咲いた。きっと子供たちが話をしているのを見・聞きして、さぞかし「みんな元気にやっているね」「これからも仲良くやってよ」と満足しているであろうと思った。

 送り火は、祭壇から庭へ、家の入口道路へと、焚いた松の木を継いでいった。この際、風習にしたがい、一本は竹、一本は木の箸で挟み合って継いでいった。この地方では、家の近くの四差路に出るまで焚き継いでいくこともあるが、今日は風が強いため家の前の道路までとした。

 今回の迎え火、送り火は、ほぽ昔からのしきたりどおりで執り行われた。時代とともに少しづつ変化・省略されて受け継がれるであろうが、仏様をお盆にお迎えし、送り出していく行事は、古来から故人を偲ぶ素晴らしい行事であると思った。

 

 2. 型・形の中から大切なものを学ぶ

 初盆の行事を通じて、人の生命・死・霊について考える機会をいただいた。広くはお盆についてどのようにとらえ、お祀りするかを考えるとき、昔から作り上げられた型・形、地域の風習、先祖から受け継がれたものには「なるほど」という、今風にいうと目的にかなった合理性といったものを見出すことができる。これからもは出来る限り大事にし継承したいものだと思った。

 言うまでもなく、武芸を始めで諸事一般に「型・形があるもの」はそれなりの理由があって出来上がったように、お盆一般や初盆・施餓鬼なども、まず型・形から入っていくことが結果的には、本来の故人・仏様・御霊を大切に取り扱うことにつながっていくことになることを強く感じた。

 

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《 初盆の祭壇 》

 

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 《 送り火は祭壇から庭へ、庭から家の前の入口道路へと導いた。》

 

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《 送り火 》