浜ちゃん日記  初盆・盆義理の一日に思う

 今日は母の初盆・盆義理で家内の実家に朝から夕方まで詰めることになった。ありがたいことに多くの方が弔問してくださった。一方、時間を割いて町内の初盆を迎えられた家を弔問した。お盆といっても初盆・盆義理がどうしても焦点となってしまう。

 昨夕は、町内で盆義理とは関係なく、お盆で静かにひっそりと一人で迎え火を焚き、先祖の御霊をお迎えして供養しておられる家庭を見かけた。その様子を見て故郷鳥取県宇野のお盆の風景や亡くなった両親・兄姉を偲んだ。

    故郷のお盆は、毎夕家族そろってお墓に参り灯篭に火をともし御霊を供養した。集落の全家庭が大体同じ時刻に出かけるのでにぎやかであった。墓地には先祖のお墓が幾十も並んでおり、灯篭の灯がともるとそれはそれは幻想的な風景が展開されたものである。今年のお盆も昔と変わりなく行われているであろうか。

 お盆は、宗教とか、宗派とかにかかわらず、先祖はもとより、特に自分がこの世に生を受けてから亡くなった身内を偲ぶのにふさわしい月である。育てられ、一緒に生活した祖父母・父母・配偶者・子・兄弟姉妹などの身内の場合、故人に関する直接の思い出が生きており在りし日の姿が浮かぶ。

 今日は初盆であるので、亡き母を中心とした写真帖を見て、生前の様々な事を思いだした。盆義理で町内の各家庭を訪れたが、素晴らしい遺影が飾られており、じっと見つめていると仏様とのかかわりが思い出された。遺影は故人と弔問者を結びつける糸のように感じた。ありがたい一日であった。

 お盆には理屈はいらない。手を合わすだけで良い。それがお盆であるように思った。