浜ちゃん日記    初盆・ 内施餓鬼と寺施餓鬼

1.   仏事の目的・由来 ・参会への得心

 今日は、新盆を迎える義母の法要として 午前は家内の実家で内施餓鬼を行い、午後は菩提寺・敬雲寺において寺施餓鬼が行われた。

     仏事については、あまり知見もなく詳しくないが、地域によっていろいろと異なっているようである。遠州地方のお盆のやり方は、昔からのしきたり、習わしがあるようで私にとっても良い勉強・経験となった。

 正直なところ、自衛隊OBとしては、それなりに普通の人と比べれば国内外の軍事等に関する知識はあるが、こうしたお寺に関すること、宗教に関することとなると、ちょっと世話人をした程度ではその仏事の真髄・本質を理解するところに至らない。

 その土地に住み、子供の頃から親たちのやっていることを見よう真似ようで覚え、しきたりややり方を体得していくからである。昔は先祖代々親から子へと受け継がれたが、戦後の家族制度の変化に伴いこれらは中断し、廃れつつあるように見受ける。  

 形が受け継がれなくなったうえにさらにその真髄・本質が見えなくなってきている。どんなに有難いものでも受け入れられないと形だけとなってしまう。

 ここで、お盆のこと、初盆のこと、内施餓鬼のこと、寺施餓鬼のこと、迎え火や送り火のことなどいろいろと知りたいと思ってネットで調べてみて施餓鬼については、意外に難しく解説しているのに気付いた。普通の人はこれだと理解と得心するまではいかないように思った。

 

2.  法要で始まりと結びに感銘を受けたこと

 私は、郷里鳥取県の両親・姉・姉の法要や各地の自衛隊勤務において経験したことで最も感銘を受け得心したことがある。それはお坊さんが法要を始める前に、なぜこの法要を行うのかといった目的・ねらいから、どんな内容をどのように進めるのかをその都度参会者の全員にわかりやすく説明・説教していたことである。

 また、法要が終わった後、お坊さんが改めて、もう一度この法要が参会者にとってどんな意義を持のかを問いかけて終了としていたことである。大きな法要であろうが、小さな少人数の法要であろうがそこには何らの差がなかったことである。

 すると知識・経験のある者はさらに深め、年寄りはもとより若い人たちにも理解されて、なぜこの場にいるのかを納得し、人間と宗教、人の死と供養の関係などに関心を持ち日常生活にどのように生かさねばならないのか知ることにつながるのではなかろうか。仏教界の発展、人の幸せのために、このことに僧侶の皆さんが関心と改善を図ってもらいたいと請い願うものである。

 

2. 初盆と施餓鬼

❶初盆

 亡くなった方を初めて迎えるお盆を「新盆」「初盆」といっている。仏説によればお釈迦様の弟子、日蓮の死んだ母親が餓鬼道に落ち、苦しんでいるのを助けてほしいと請い、7月15日に供養したのがお盆の始まりと言われている。 

 由来はともかく、親族一同が集まり亡くなった最愛の親兄弟子等を迎え供養出来ることは大きな喜びである。人間だから出来ることであろう。

 

❷  施餓鬼

 施餓鬼は、文字通り餓鬼にいろいろな飲食物を施すことですが、今の自分に与えられた命を尊び感謝し、長生きを願うことだといわれている。

 つまるところ、先祖の皆さん、亡くなった最愛の親兄弟子等と語らい、しのび、己の今日あるを喜び感謝することではなかろうか。

 

❸ 内施餓鬼

 お盆の前に、お寺さんを呼んで、親せきを集めて施餓鬼が行われた。親戚が集まり法要を行うとともに、故人を偲び、食事をして顔を合わせ語らうことを心から喜んでくれたであろう。  

    内施餓鬼棚の供物は、お寺さんから教えてもらった通り、昔からのしきたりに則って供物を準備し配置したが、それぞれの以前の記憶がまちまちで話し合いながら修正することになった。

 

❹寺施餓鬼

 寺施餓鬼は、お盆に、お寺に初盆の家を始めとして檀家が集まり、お寺全体で施餓鬼を行うことである。  

    神久呂地区の臨済宗の寺院は洞雲寺をはじめ各寺院のお坊さんが全員集まって、順番に寺院ごと寺施餓鬼が行われている。

    本日はお寺さん8名で寺施餓鬼は厳かにかつ粛々と行われた。台風11号の影響により屋外棚設置を屋内に変更された。

 

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 《  内施餓鬼の模様  》

 

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 《  浜松市西区神ケ谷町の敬雲寺における寺施餓鬼の模様  》