浜ちゃん日記 父母を悼む月

 1.迎え火や父のおもかげ母の顔

 8月1日午前6時に墓にお参りしてきた。蝉の合唱はすさまじいが早朝の境内に立って心が引き締まった。8月は盛夏というより私にとっては鎮魂の月のように感じられる。例年は浜松市の平和祈念行事に参加していたが、今年は義母の初盆で月半ばは法要等の行事で過ごすことになる。

 郷里鳥取ではお盆はお墓参りなどの地域独特の行事が行われることになる。どこにいても故郷を思い、先祖・両親・兄弟などを偲ぶ気持ちは同じだ。

 今朝墓参りした 洞雲寺山門の入り口の掲示板に、「迎え火や 父のおもかげ 母の顔」と掲げられていた。まさしく私の気持ちに合った句である。信徒ならずとも心に抱く共通の思いであろう。

 

2. 切っても切れない姉と弟

 肉親とは何十年たっても切っても切れない不思議な関係である。歳をとればとるほど思いは強く忘れ難く深くなっていくのかもしれない。先日はさいたま市の老人ホ-ムに入っている14歳離れた93歳の長姉を見舞ってきた。

   先日、姉の様子を甥に尋ねたら「母親は最近自分とおじさんを間違えることがある。」「毎回おじさんの名前を呼んでいる。」と聞いたので、東京で行われるニクメンバ-の昼食会の折に,埼玉まで足を伸ばして姉を訪問することにした。

 甥は最近の母親の状況から一度携帯電話で私の声を聴かせてやろうと思っていたところに、前夜「急だが明日高校の同期会の帰りに姉のところに寄りたい」との知らせを受けてびっくりしたらしい。このことは本人に知らせなかったらしく、それこそ突然の訪問に姉は涙を流し喜んでくれた。話題は遥か彼方の故郷のこと、亡くなった両親のことであった。5人兄姉と末っ子の私、6人のうち3人はすでに逝ってしまった。

 常日頃から親孝行者の甥夫婦が手厚く面倒を見ている様子に安心して帰路についたものだ。姉は幸せだといっていた。人生、人の幸せは最後は財産でも地位でもない、肉親から忘れられた存在にならないことにあると強く感じた。 

 

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 《 浜松市西区神ケ谷町洞雲寺掲示板「迎え火や父のおもかげ母の顔」 》

 

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《 石佛の背中も慈悲の心に満ちている。》

 

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《  落ち葉一つない浜松市西区神ケ町洞雲寺の参道 》

 

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 《 屋根瓦のついた壁が好きだ。昔からの日本の文化の匂いがする。》