昭和の航空自衛隊の思い出(7)  転勤引っ越し上手

1. 引っ越しの時代変遷

    昭和の30年代は、引越し荷物は日通に申込み国鉄の貨物列車を利用したものである。たんすなどは枠組みを作って発送した。初級幹部で経済的余裕のない身分としては、勤務後家に帰ってからコツコツと荷造りした。次第に長距離のトラック輸送が発達してこれを利用するようになってずいぶん楽になった。

 引っ越しの前日までには家具家財を全部整理をして、いつでもコンテナに運べるようにした。移転料は定額であったので切りつめても多少足が出るのは毎度のことで貯金を下ろしては引っ越し貧乏であった。

 一般会社では、引っ越しの荷物作りなど専門業者に委託し、かかった費用を会社に請求して支払ってもらっているよと会社勤めの友人から言われたが、「そんなものか」と特に疑問も抱かなかった。

 引っ越しに当たっては、官舎の皆さんが手伝ってくれた。入退去には挨拶回りをし、見送られたものである。同僚・部下の中には休暇を取っても引っ越しを手伝ってくれる者もいた。これも時代とともに引っ越し専門業者にお願いするようになり、官舎の皆さんのお手伝いは荷物を出した後の清掃が主となってきた。また、引越しでは意外にゴミ出し指定日があり、隣近所に預かってもらい出してもらうことがあった。日頃の隣近所の付き合いが大切であつた。

 これらはお互いが転勤と引っ越しの事情が分かっている者同士であり、綺麗に部屋を清掃し、管理人にカギを預けて、お別れするときはお互いに感無量であった。

 

  2.  生活環境の整備

 人の移動は昭和30年代は列車で移動し、荷物がつくまでは転勤先の旅館に泊まったりしたが、40年代半ばごろから自家用車が普及しだし車での移動が普通になった。九州への赴任は、神戸からカーフェリーを2度利用し北九州へ移動した。家族全員の船旅も思い出の一つである。

    引っ越し先の官舎に着いたら管理人・責任者のところに挨拶し、カギの受領や入居に伴う手続き、官舎内のしきたり、自治会等のことについて教えてもらった。

    入居の部屋に入って確認するのは、まず電気・水道・ガスなどすぐに必要な生活関連の事柄である。たいてい必要な連絡先がメモで残されているので、早速連絡して開通するようにしてもらうことが一番の仕事であった。官舎引っ越し回数が増えるにつれてどんなメモ内容を残していけば、どのように役立つか分かってきたので要領よく整理をして、次の入居者に役立つようにした。

 

3.   電気、水道、ガスの開通 

 生活環境の整備でまず必要なことは、当時、官舎の電球は蛍光灯ではなく、電球であった。個人持ちであったせいか、ところによっては何もなく、荷物を解くまでは無灯の状態が一般的であった。一番必要なのはまず電気をつけて休むところとねぐらを確保することが先決であったのて、私は必ず電球の何個かはそのまま残置したものであった。

   水道はメーターが付いており、連絡するだけで特に問題はなかった。

   燃料だけは、都市部と地方ではガス設備が異なり新任地についてから新品の器具を購入することが多かった。そこで次に転勤引越しのときは、そのまま残置して使ってもらうことにした。不要となれば破棄してもらうことにした。

    昭和の30.40年代は風呂もだるま型湯舟であった。入居して家具家財の整理が完了せず夜を迎えることもあったが、あらかじめ用意したカ-テンの取り付けなど応急要領も身についた。

 こうした配慮は自分がその身になってみると有難く思ったので、次に入居した方が取り敢えず困らないように着意した。多分役立ったであろうと勝手に推察した。

  

4.  官舎施設の向上

 自衛隊組織の運営・任務・経歴人管理上から人事異動は必要不可欠のものである。家具家財が多いとそれだけ苦労があることを体得した。

    当面使わないもの などは家内の実家に預けて引っ越しが身軽にできるようにした。

   時代とともに新設官舎は、よくなって来た。住めればよしから少しづつ建物自体が良くなった。 

    最初の頃は古い5階の上段の部屋への荷物運搬は狭い階段であちらでゴッンこちらでゴッンとタンスは傷付き名誉の負傷が残った。ある時代からテラス越しの大物搬入の機材が活用されるようになった。

   自衛隊官舎はもの言わないが、長い歳月の間に数知れぬ入転居者を迎え送ったであろう。どんな官舎であって私達夫婦にとっては、二度と繰り返すことのない防人の「喜びも悲しみも幾年月」の官舎生活であった。

 

5.引っ越し整理のコツ

    異動の内示を受けたら、家内に密かに引越し準備をしてもらった。最初の頃は私が主役でコツコツと準備したが、転勤引越しを重ねるに連れて、家内が主役で手腕を発揮するようになった。

    時代と共に引っ越し産業が発展するに連れて、荷物作りは段ボール箱に分類して詰め、どこにどんな品物が入っているか分かるようにした。

   ダンボール箱は、次の引越しに使えるように保管し、その都度使えそうなものは頂いて蓄積した。後は時間があればせっせと整理し、概ね引っ越し前夜までに準備完了とするようにした。

    一方私は、転勤引越しに伴う諸手続きと大きな整理作業のほか送別会、業務整理と大忙しの内に転勤の日を迎えたものである。いつの時代も夫婦が役割分担を果たすことによって助け合えばうまくいった。

 

6.転勤引越し風景様々

     引っ越し風景はさまざまで、世の中は広く、中には豪傑がいるもだ。時代に関係なく、引っ越しのコマーシャル通り、普段のあるがままの状態にして転勤引越しの車が来てそのまま運び出し車に乗せるやり方もあった。

    これは一見合理的で簡単・明瞭であるが、タンスなど家具の裏側にはホコリがいっぱい着いたままで、人の性格などがよく現われ、引越しは人間模様そのものを映し出した。

    このような時は近所のお手伝いの夫人方の仕事はそれこそ大変、大掃除に来たようなもので、どちらが良いかはさておいて、転勤引越しも人様々であった。

 数多い官舎から官舎への転勤引越しは、失敗をしながら生活の知恵でコツを覚えて「引っ越し上手」になっていった。最後の引っ越しは、部隊訓練検閲でいえば、「最優秀」の評価をもらえたのではないかと思ったものである。

 自衛隊退官後、永住の地と決めて建設した自宅は、毎日の普通の清掃程度と年末の大掃除ぐらいで、子供の頃どこの家庭でも見られた一家総出の家具家財の大規模な掃除もやらなくなった。住宅の充実、環境の変化等もあるが、官舎から官舎への転勤引越しがいろいろな面で生活の良い節目となっていたと回想している。