昭和の航空自衛隊の思い出(5)   自衛隊官舎の存在意義

1. 自衛隊宿舎の家賃騒動

    確か平成24年11月ごろ財務省自衛隊宿舎を含む国家公務員宿舎の使用料値上げをいつば一絡げで値上げをすることを発表したところ、地方で勤務する自衛隊員の官舎への入居率の低下が懸念され、自衛隊宿舎の必要性、即応態勢などが論じられ話題になったことがある。

   当時そのニュースを新聞等で見て、自衛隊在隊間に、平均して2年ごと位に転勤し、官舎住まいをした者としては、自衛隊における官舎の意義と言うか、官舎の果たす役割、特に離島勤務者の官舎、 最近の官舎入居事情など本質的なことが全くわかっていないことに驚いたことがある。

    住宅事情も、現在は昭和時代とは違って格段とよくなり、持家も多くなった。民間の住宅は規模、設備など比較にならないほど向上し、かつ住宅情報ネットが発達してきた。

    一昔前と違って、今は自衛官が官舎など入らなくても、一般の住宅を借りることが容易となった中で、自衛隊官舎の必要性、意義など考慮しないで、経済性と民間の家賃との比較で一律に値上げが浮上したが、無料待機宿舎率をあげることなどで決着したと新聞テレビは報じた。

   そこでそのもとになった平成23年10月11日財務省理財局が作成発表している「国家公務員宿舎関係資料」を調べてみた。ネットから検索して「国家公務員宿舎の状況等」34ぺ-ジを印刷して読んでみた。国家公務員宿舎の概要、宿舎の種類、宿舎の設置戸数、各省庁別の戸数、経過年数、危機管理要員の概要、民間社宅の状況など役所らしく一見そつなく作成されている。

 感想としては、最も焦点となるであろうと思われる全体官舎の主力を占める自衛隊官舎についてその任務の特殊性に伴う分析が全くなく、役人的な発想で一ぱひとからげで問題解決を図ろうとしたのがよく分かり驚いた。

 はるか昔を思い出し、自衛隊の幕僚作業からすると指揮官から問題点の分析と対処策が足らないと突き返されること間違いないと受け止めた。政治が判断するにしても提供する資料に焦点となるであろう肝心かなめの自衛隊官舎に関する調査分析資料がなくこれでは適正な対策処置が導かれないのではなかろうかと思うのは私だけであろうか。当然起こるべくして提起された問題点であると思った。

 

2.入れてやるからお願いする時代

    私の過ごした昭和30.40の時代は、部隊の近くに民家を求めても離れや納屋ぐらいしかなかった。民家を借りたこともあるが、非常呼集を知る手段がなくで、呼集伝令や同僚の直接伝達で苦労した思い出が残っている。

    自衛隊も当時は官舎の数が足りなくて、「官舎に入れてやる」「官舎に入れてもらいありがたかった」という時代から現代は任務の特性上、「ぜひ官舎に入ってください」とお願いする時代に移行している。

    今や全国くまなく住宅ネットが拡充し、自由に快適な住居を選ぶことができる時代になってきた。中央官庁はともかく地方はその傾向にある。

    また、自衛隊官舎は時代を超えて、有事における相応態勢の維持と運命共同体を形成する上に大きな役割を果たしてきたこと、さらには離島等のへき地勤務者の勤務環境の向上や人事管理上からも特殊性があることを再認識する必要があろう。

    この問題が発生してから自衛官出身で第一線部隊勤務と官舎住まいの経験のある参議院議員佐藤正久氏、宇都隆史氏など政治家が中心となってなんとか収まるところに収まったようだ。この騒動によって国の守りにつく自衛隊員の官舎の位置づけがある程度確立されたことは瓢箪から駒が出た感じである。

    世界の軍事組織を見渡して、こうした珍事が起こること自体が自衛隊の存立の根源にあることがよく分かる。今話題の自衛隊任務遂行上の諸問題から給与体系、殉職時の補償、栄典から軍事裁判など普通の軍隊とちがうことは数え上げたらきりがない。

 日本が世界の中で、普通の国でない最たるものであり、「軍隊」でない「自衛隊」であるからであろう。

   安倍晋三総理大臣になって、 ようやく、日本の国の骨幹が少しづつ改革されつつあるが、はやく普通の国になって自衛官が後顧の憂いなく勤務できる日が到来するの祈ってやまない。

 

3.   在隊当時の自衛隊官舎事情

 自衛隊は、今年60周年を迎えた。航空自衛隊の創設期に入隊し、結婚後、官舎生活を始めてから退官まで官舎を転々としてきた。組織の充実とともに官舎は「質より数」を重視して建設されてきたように受け止めている。

   創設期は 官舎に入居を希望しても官舎の数が足りなくて入居できない者は、粗雑な民家の離れや納屋などを借用したものである。

    したがって官舎に入れると大喜びしたものである。官舎の建設は追いつかず、昭和の40年代になって、一般の賃貸アパートを借り上げて俗に言う「特別借上宿舎」の制度ができてかなり緩和されることになった。              

     当然のことながら、自衛隊の官舎は質より戸数を重視せざるを得なかつたことから他省庁の官舎と比べたら見劣りしたものであった。私はこんなものだと全く気づかなかったが、尉官時代に郷里からやってきた私の義兄の町会議員はあまりにも粗末な官舎を見て「自衛隊の官舎って?」と驚いたものだった。

    航空自衛隊は、離島等僻地に部隊が展開しており、任務遂行上官舎の設置・確保は必須であった。これらは隊員の勤務管理、家族の生活の安定、隊員の士気を左右する事柄であった。

    長い官舎生活のなかで、防衛予算が圧縮される中で徐々ではあるが老朽化官舎の建て替えなどが進んだことを覚えている。

    新しい木造官舎、5階建ビルの官舎にも入居した。勿論有料であつたが当時の家賃としては安かったように感じていた。

 

4. 自衛隊宿舎と即応態勢

   自衛官は、「指定場所に居住する義務」が自衛隊法第55条に定められている。それは自衛隊の任務遂行上必要不可欠であるからである。 

 昭和37年ごろ房総半島にある峰岡レ-ダ-基地に勤務した。お山からかなり離れた麓の町に官舎があり、官舎には電話1台の時代であった。非常呼集がかかれば誘い合って指定場所に急行し、部隊の車両で登庁したものである。24時間体制の交代制勤務であり、通常は対処できるが、非常の場合は増強を必要とし駆けつけたものだ。隊員が民家に分散しているところは伝令を走らせ、第2陣、第3陣と体制を整えていった。

 昭和40年ごろ入間基地に勤務した折、中部警戒管制団司令兼入間基地司令の副官を命じられ入居した官舎にその地区に1台しかない電話がついており、非常呼集時は発令を知るや自転車でいち早く登庁する一方、家内が寝巻に何か羽織ってどんどんと各戸の扉をたたき「非常呼集です」と官舎地区を回った。一秒でも早くと若い時代であったが身なりを整える暇もなく呼集伝達係を遂行したことを時折話すことがある。今では考えられない時代であった。

 当時、米軍の司令官主催のパ-ティに司令が招かれ副官としてしばしば出かけたが、司令官車はもとより司令官のそばには緊急電話機があり、即応態勢の完備をうらやましく思ったものである。

 その後、電話が各戸につく時代がやってきた。官舎内の一斉伝達装置も完備し、携帯電話の時代となった。即応態勢も時代とともに充実発展してきた。

 今後、自衛隊の各種任務の拡大に伴い、官舎問題は単に官舎地区だけではなく、分散する民家入居者を含めた自衛官の即応態勢にとどまらず、単身赴任の増加、隊員の家族の援護支援など新たなる課題の視点からも官舎の存在意義を考えてみる必要性があるのではなかろうか。老兵の独り言で終わってよいものだろうか。