1. 子供の頃の環境
わが家の庭には花を植え、四季折々の花を咲かせるよう家内が手づくりしている。
夫婦共農家で育ったので、家の庭の一部には花壇があり草花でいっぱいであった。普段の仏壇やお墓の供花は花壇の花を利用していた。
こうした子供時代の環境は、その後の人生に大きい影響を与えるものだと思うことがある。
2. 官舎住いと花壇
平成2年に定年退官した 自衛隊生活では、2年毎の転勤族であったため所帯をもってからは官舎住いであった。
今の時代と比較すると昭和30.40年代の官舎は狭く小さなバラック小屋のようなものであったが、少しは花を植える程度の空き地はあった。
新任地の官舎では、せっせと花壇?づくりに励み花を咲かせたものである。
転勤があっても、育てた花木、球根類はそのままにし、次の方に世話をしてもらい楽しんでもらうようにした。今考えると、自分の善意がかえってありがた迷惑だつたことがあったかもしれない。
このように各地を転勤したが、官舎は「宿舎」と呼ばれるようになり、時代とともに都市部の宿舎はビル化し、せいぜいベランダに鉢植え出来る程度となった。
3 自宅建設と花壇
最初は気に入った花苗を買ってきては植え付けたものであるが、この頃はタネがこぼれたりして自生し、四季折々の花が咲いている。
そうは言っても、世話焼きは家内がやっており、私の役目は夕方の散水程度で脇役となっている。
家庭で咲かせた花は時折、毎月の花参りの供花などとなっている。子供の頃のお盆の墓参りの花も家の庭に咲いていた花を供えたことを思い出した。
今は時折、適当な花がない時は、花農家が栽培した立派な花が沿道に一束100円で売られており、利用することがある。
町内の最近の自宅建設を見ていると、家の前に小さくても花壇を設けている情景を見る事が多い。
昔は花壇は花を楽しむという考えであったように思う。これに対して、現在は花壇は家と一体となったアクセサリー的、装飾的な考えに変わってきたように感じられる。
住宅事情からであろうか、鉢植えが多くなった。
これは私だけの受け止めであろうか。どちらにしても花自体が家の周りにあることは、生活と結びついて有意義なことであろう。
4.学校と花壇
浜松地区の郊外は、農村地帯であったところから、多少なりと花壇がある家庭が多い方だ。
最近建つ近代的な住宅を見ていると、花壇が家のアクセサリー的な存在に変容しつつある傾向や都市部の生活環境等からすると、子供たちが、花を身近かに親しむ生活、育て世話をする機会が少なくなってきたようだ。
学校で花壇を設け、花に対する理解と学習、さらには育てることはいいことである。
私の子供の頃には考えられなかったことである。どの家庭にも花が咲いている環境があり、自分が世話をしないまでも自然にそれなりの学習をしていたからである。
5. まちづくりと花壇
退官し、地域に住み、自治会活動に入って自治会長をやるようになったら、「家庭の花壇」と言う視点から「まちづくり」と言う観点から町並みを見るようになった。
自分の住む町はどうあるべきか、全体としての景観・町並みに関心を持つようになった。
現在続けている花いっぱい活動もその延長上にある。特定の区域に花を植えて咲かせることは容易であるが、既成の町並みに花ラインとなると住民意識と協力など様々な課題と取り組まなければならない。困難な目標ほどやり甲斐があるものだ。焦らずのんびりと取り組んでいる。
《 わが家の外壁の私道脇に設けた花ライン 》