浜ちゃん日記   肉親の死をどう受け入れるか

    家内の母が98歳の天寿を全うした。通夜及び告別式等逝去に伴う一連の葬送行事の準備と挙行が行われる。

    長い人生にあっては、誰でも親、配偶者、子、兄弟姉妹、親戚といった人の死に関わるものである。長生きすればするほど、こした人の死と向き合い、葬送行事を数多く経験することになる。また、喪主になることもある。

   とりわけ肉親の死に直面すると、その心の痛みは計り知れないものがある。幾重にも悲しみを乗り越えて人は生きていく。辛い出来事であるがこれまた人生である。

    それでも期間の長短に関わらず病気の場合は、病状によってそれなりの覚悟・心の準備がてきてくるものである。

 これに対して、「3.11」のごとく、全く心の準備もなく、地震津波などの突然の天災地変、事故によって身内を失うことにことになれば、その精神的打撃は計り知れないものがある。

   それを解決してくれるものは、「時間」と「環境」ではなかろうか。「時間」と「環境」という大きな大きな人間を包んでくれる自然、緩和となるクッションが存在し、心を和らげ、覚悟を促し、あるがままを受容するようになってくる。

 人は肉親の死をどのように受け止め、悲しみを乗り越えていくのであろうか。ある人は何かを信じ心の支えを持つかもしれないが、人が生きる自然という「時間」と「環境」こそ、人に与えてくれた最大の恵みではなかろうか。

 人が生きていくには、肉親の情、悲しみを心の中に秘めながら、どうしても乗り越えなければ生きていけないものである。あるがままを受け止めて新しい生き方が始まってくる。忙しい祭事のひと時であるが、その合間に肉親の死について沈思黙考してわが身に問うてみた。