1. 花の最高の時
「花の命は短し」と言われるが、開花したら少しでも美しい状態で長く持続して欲しいと願う。
花に関する最大の関心は、私が関係している花畑についてである。それは、花畑の主役である基幹花のポピーであり、コスモスであったりする。
一方、ポピ-、コスモスには、開花の形状、花色などから見て最高の時期というものがある。その最高の時期は、私の感じでは大体3日〜4日間ぐらいではなかろうかと思う。
浜松市西区の神原町花の会が管理する花畑には、代表・責任者として、特別なことがない限り、毎日朝夕訪れている。不思議なもので毎日訪れているといろいろな面で微妙な変化を感じ取ることができる。
どこがどうなったといったものではなく、その場にいて長く見守ってきた者だけが感じる「大きな流れの変化」と言えるかもしれない。
花美原会は、毎年2回、約1,000平方メートルの花畑に、主役の花として春ポピ-、秋コスモスを咲かせているが、最も美しい時は、全体の色合いから感覚で分かるものだ。
個々の花というより 集団の美と言うか、花畑全体としての花の美しさ、勢いを最も強く感じる時がやって来る。
広い花畑の花が一斉に開花し、出そろい、「これぞ花畑だ」「今が最高」だと断言できる時があるものです。
この最高の時期に花畑を訪れる方には、「花との最高の出会い」が待っている。
2.花との出会い
航空自衛隊退官後、引き続く自動車保険料率算定会静岡・浜松調査事務所の勤務等を終えて、縁あって神原町の自治会長をやらせていただき、いろいろと提唱したまちづくりの一つに、「花で明るい町にしよう」と花の会を立ち上げることとなり、立場上責任者となってしまった。8年前のことであった。
組織の運営は多少とも自信があるが、花の栽培、世話は子供のころ手伝った程度で、特別の知識経験もなく不案内であった。
人生とは不思議なものだ。同期生や知人の中には、「なんで彼が花と縁があるのだ」と思う人もいる。
自分もこうなるとは全く考えていなかった。どうして花との縁があったのであろうか。花と奇妙な縁ができ、出会ったことはこれもまた人生であり、縁を大事にしたいと思っている。
家内は、花好きである。自衛隊勤務当時、転勤先の官舎に小さな花壇を作り花を植えてきた。転任の都度そのまま残して、次の新任地の官舎でまた一から始めての繰り返しであった。
自衛隊退官後、浜松に自宅を建設したが、当然、花壇を設けて花にかこまれている。花作りの主役は家内で私は脇役以下である。
3.花の魔力と魅力
花のことは、立場上分かった顔をしているが、実際は分かっていないといってよいであろう。
勿論、園芸の本を読み、勉強したが、個々の花の栽培方法、土壌管理等に関する専門的・技術的な知識経験はたいしたことはない。
約7年余に及ぶ花活動と多少とも世話をしていると「門前の小僧」といったところである。
私が花とかかわって一番の関心は、どうしても、自然界の摂理に魅せられることである。
特に、種が芽をだし、生育し花が咲いていく過程、開花の神秘は、人の誕生、成長、生き様と重なってくるから活動の旗振り役として苦労もあるが花から多くの感動をもらっている。
その一つが、同じ種のように見えても播種してくると個性があることである。一つとして同じものはない。
その上同じ環境条件のように見えても同じ花なのに育ちが異なる。それでいて多くが一斉に開花する自然の魔力・エネルギーに驚くはかりである。
もう一つは、広い花畑の強みで、次から次へと、新たな開花によって、全体として、花の勢いを持続していることである。お互いが補完しあっているのであろうか。花の芸術を見る思いである。
鉢植えと違い、すべて自然界の摂理、恵みにお任せであるが、花の神秘な魔力と魅力に吸い寄せられている。
4. 最高の見せ場
花いっぱい活動者・世話をする立場としては、できれば、開花した最高の時に、多くの皆さんに見ていただきたい。
花にとっても「最高の晴れ姿」を見てもらうことを期待しているように思える。
しかし、世の中はうまくいかないもので、多くの場合、残念ながら時期が過ぎてから訪れる方が多い。
新聞テレビの取材時は最高であっても、実際皆さんの目に触れる時は少し下り坂の時となってしまつているものだ。
ここ三日ぐらい、「天気晴朗、風よし」であつた。赤、ピンク、白などのポピーが春風に 揺れて、それはそれは見事であった。
5. 最高の時にベストを尽くす
花の最高の時期、見頃があるように、人には人生の年代ごと最高の時期がある。
総じて、幼児期、小学、中学、高校 、大学と勉強の時代、社会人として働く時代、家庭を形成する時代、子育ての時代、定年後の時代、人生終末の時期、人様々であろう。
いつの時代も、人は精一杯生きているが、その時期ごとにベストを尽くし、最高と思うかどうかである。
人の生き方や歩む道は千差万別てあるが、最終的には、自分がどのように心に感じたかである。他人がどう見たり思うかではなく、すべては「自分の心」によって決まる。
「終わりよければ全て良し」ということがある。多かれ少なかれ人生は「波乱万丈」であり、辛い時代があれば楽しかった時代もあるものだ。
恵まれた時代があれば、不幸だったと思う時代があるかもしれない。
それぞれの時期にベストを尽くせば悔いはない。それでよしであろう。
いつの時期も、最高の時をより多く持ちたいものである。取り分け、歳を重ねれば重ねるほど、毎日が最高と思える過ごし方ができれば、こんな 良いことはない。
毎日が最高は、自分で作るものだから、平凡な生活の中に、毎日「一日一善」を心がけて過ごしたいと思う。
《 5月4日夕方のポピ-畑 》
《 5月5日午前10時 住宅地のポピ- 》
《 5月5日午前10時 住宅地のポピ- 》