昭和の陸上自衛隊の思い出(2)  優れた教官と助教

1.素晴らしい新隊員教育

 陸海空3自衛隊における教育訓練で優れた教育と定評のあるのが「新隊員教育」である。高校を卒業したどの子でもひとたび自衛隊に入隊し3カ月もたてば、いずれの親も「これがわが子か」と驚くほど成長し立派になってくるからである。挨拶、立ち振る舞い、言語動作から生活態度に至るまで見違えるほど変わってくるものである。

 卒業した学校の先生のところに顔を出すと、この間卒業したばかりの隊員に接し「これがあの生徒」かと驚かれる話は今では珍しくなくなってきた。

 毎年4月になると、新入社員の集団教育訓練で自衛隊体験入隊することが多いのはそれなりの理由があり、ほほえましく思うことがある。

 私の場合はどうであったであろうか、昭和30年1月陸上自衛隊に入隊し、新隊員教育を受けた。

    当時親は何も言わなかったし、自分から聞いたこともないが、きっと私の姿を見て安堵したであろう。周囲も一回りも二回りも大きくなったと思っていたのではなかろうか。今は亡き両親に「あの時はどぅだった?」と一度聞いてみたかったと思うことがある。

    私も親となって、次男を航空自衛隊の空曹候補生として送り出したことがある。終了したとき私は自分の親と同じようにただ笑顔で見守つたが、家内は逞しく成長した息子を見て嬉し涙を流していた。

 

 

2.守破離と教育訓練の真髄

 新隊員教育を実体験したことのない、頭だけで考えると、画一的な教育訓練で個性のない人間ができるようになると空論を吐く者もいるが、人間そのものを知らない観念でものを見る人のいうことである。

 新隊員の教育は、自衛官としての「心技体」の基礎をしっかりと身につけさせることである。徹底して反復訓練すると身につくものだ。それを土台にして部隊等に勤務し経験を積んでいくと自分なりのものを作り上げていくものだ。まさに「守破離」という言葉ぴったりである。

 かって日本海軍山本五十六連合艦隊司令長官の名言「やってみせ、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かじ。」を実際の教育訓練に取り入れている。

 班長・助教が「見本を示して、手をとり足を取って教え、実際に何回もやらせてみる、よくできたらほめる。この繰り返しである。」、そこに真剣さと愛情があれば、一体となって、教育訓練の成果が上がる。

 時代を超えていずこの新隊員教育の修了式において、お別れのときは、困難を克服した者同士だけが知るものがある。やり遂げた達成感にあふれ、それこそ嬉し涙、涙、涙となるのが定番となっている。見送る者も見送られる者も短い期間といえども共感するものがあるからである。

 立ち会う父兄も感動する。ここに日本の国で忘れられた教育の原点を見る思いがする。

 

 3.選りすぐりの 教官・助教

 新隊員の前期教育を受けながら、毎回見事だと感心したのは、教官の教え方、発声、自信をもった態度が立派であったことである。これぞ自衛隊だと思う場面が多かった。こんな幹部になれたらとひそかに心に誓ったものである。 

 見習幹部・3尉クラスの堂々たる自信満ちた教官、親身になって教えてくれた助教の班長・班付の姿が思い浮かぶのである。

 後年、航空自衛隊で幹部となったとき、常に教育訓練について特別の関心をもって考えてきた原点は米子と次の福知山の後期教育、さらには操縦学生時の教官の素晴らしさが胸に残った。将来自分がその任に就いたならばこうしたい、こうやりたいと考えてきた。

 後年、航空自衛隊で幹部自衛官となり、術科学校教育部勤務となる時がやってきた。

   人事総務・教育技術・要務等の教育担当科長となった時、術科教育はもとより教育技術について特別の関心をもって教官の質的向上に努めたことがある。

  子供の教育も同じである。どこのどんな教育であろうが、教官の資質能力の上に「人を育てる情熱」こそが、教わる者の心に響き教育成果につながるものであることを学んできた。人生すべてがつながっていくものだと思う。