こころのふるさと(22) 卒業前進路で悩んだ高校生時代

1.  高校と中学の違い

    高校と中学時代について私の場合、担任先生との関係と感化には大きな開きがあったように思う。

    それは高校では自我が確立し、先生との間に少し間をおいて接し、大きく成長した結果でもあった。諸 先生には教科も熱心に教えていただいたし、優れた先生方で尊敬する方々であった。

     私自身が次第に自立の方向に進んでいた。その過程ではさまさまな問題に直面し、悩みながら自分で判断決断することになった。

    

2.  鳥取県中部の中心地にある高校へ進学

     昭和26年4月鳥取県倉吉東高等学校普通科に入学した。当時、高校に進学できる子は恵まれた家庭環境にあるというのが社会一般の見方であった。

    今のように大部分が進学できる状況ではなかった。多くが中学を卒業し就職する時代であった。

    経済的な面には全く無関心で、当然のごとく高校へ進学するものと思っていた。そのようにさせてもらったことに対して親に感謝している。

   その後、井沢八郎の「ああ上野駅」に代表されるように、日本の復興と共に中学卒業生が企業にとって「金の卵」的な存在となっていった。
    こうして高校へ進学したことは、さらに新しい世界が広がり、胸が高鳴った。みんな垢抜けし頭の良い連中であったので発奮したものである。毎日砂利道を自転車で片道一時間余かけて倉吉まで通学したが苦にならなかった。
    倉吉は田園地帯の羽合と違い、都市の雰囲気と文教の中心、赤煉瓦に代表される商業の街であり、勉強や級友との交流で刺激を受けながら普通の高校生として過ごした。最後の3学年の時は、倉吉の長姉の家に寄宿して通学し昭和29年春卒業した。
 
 3.卒業間近で進路変更で悩む
    昭和26年高校入学1年後、倉吉東高と倉吉西高に分かれた。私は倉吉東高へ進み進学組に入った。大学に進学することで進んで来たが、3学年の中途で親の負担を考えたら大学へ進学するか就職して自立するか悩むようになった。
    次兄が銀行に勤めており、援助するから進学したらどうかと勧めてくれたので、その援助でやってみよっかと思ったりしたがこれも病気となり断念するに至った。
 目標は教師で、羽合中学校時代の恩師鈴木治文先生と絹川初春先生のような敬愛される先生になれたらとひそかに思っていたが、親の脛をかじって大学進学することは無理だと判断し就職して自立することに決心した。
 今の時代のようにアルバイトをしながら勉強することもできたが、当時苦学して進学する確たるつてもなく悩んだ末、自衛隊に入隊し、将来大学に進むことができればそうしたいと考えた。
 
4.  自立の道、自衛隊を選択す
 昭和29年春高校卒業後、すぐに自衛隊採用試験は合格したがしばらく家にいて、地元の工事に従事したり、短期間大阪の工場で働いたりして労働体験をし、社会の実相を垣間見ることができた。短期間ではあったがこれが私にとつて非常に役立った。
    こうした体験を経て、陸上自衛隊入隊通知をもらいながら延期してきたが、ついに昭和30年1月自衛隊に入隊した。
    今顧みると高校3年後半になって、進路に悩み苦しんだ末の選択であり、ほろ苦い思い出でもある。
    一番大事な時になって方向転換することになり、足踏みして皆より一歩も二歩も遅れを取ったように感じた。少年時代を親の庇護のもとにぬくぬくと育った自分が目覚めた時期でもあった。
    また、自分の進路について、悩みに悩んだ末の自分なりの選択であったので、その後の人生において進路について迷うこともなく、わき目を振らずひたすら前進していった。
    長い人生から見たら大した期間ではないが、当時の私にとってはそれこそ大変な挫折と遅延・損失の時期であったように思えたものである。
    自衛隊に入ってからは波乱万丈の自衛官人生が待っていた。
 
5. 少年時代の夢の実現
     少年時代の夢は、羽合中学校の恩師鈴木治文先生・絹川初春先生のような先生になりたいと思っていた。
    大学進学を諦め、学校の先生にはなれなかったが、それにも劣らぬ「人材育成の場」が与えられた。
    それは、後年、航空自衛隊で総務・人事職域の人材を育成する職務につき、全身全霊を傾けて教育に務め有為な人材を育成できたことである。その根底は少年の頃の夢であった「人を育てる」ことを実現したいとの思いであった。  
 また、自衛隊在隊間は部下の練成・育成には特に意を用いて「育てる」努力をしたのも少年時代の夢の実現が大きな影響を与えていたように思う。
 
6.二クメンバー会
     昭和29年に高校を卒業しことから同期会はニクメンバー会と名付けられている。自衛隊で関東に在勤の
おりは東京の会合に、都合が良い時は母校倉吉の同期会に積極的に参加してきた。
    創設期の自衛隊において、税金泥棒と言われた時代から、異色の道を歩んだが、それに動じることなく、若い時から胸を張って航空自衛隊をPRしてきた。それは自分の仕事に誇りを持っていたからである。
 
7.1学年・3学年のクラス

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《 昭和26年4月 鳥取県倉吉高校入学記念 1年6組 》

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《 昭和38年4月 鳥取県倉吉東高校 普通科3年2組 》