今日3月2日は、小雨の中、浜松市西区神ケ谷町の洞雲寺において神ケ谷馬頭観音の初午祭にお参りしてきた。毎年お参りしている。
神ケ谷馬頭観音は、明治以前農耕馬の供養 のため、馬頭観音石仏を作りお堂を建て祭ったのが発祥とされている。
西鴨江馬頭観音、大山馬頭観音、神ケ谷馬頭観音がこの地方の三大馬頭観音と呼ばれていた。農耕馬は農家にとって牛と同様に一大労働力であり、貴重な財産であり大事に愛護管理していたものである。家族同様であった。
馬頭石仏、お堂、初午祭といい、いかに昔から人々の生活の中で、人と馬との関わり合いが深く密接であったのか知ることができる。
お堂の前に建てられた神ケ谷馬頭観音由緒の掲示に、昔の人々の生活・心情・様子を読み取ることができる。
今日は家族全員の「健康祈願」を祈祷していただいた。
この神ケ谷馬頭観音堂は、洞雲寺の先代住職・再住方広天龍山洞雲寺十八世宗賢義樵大和尚禅師が平成12年3月建立されたものである。私より一つ下のお歳であったのに逝かれてしまわれた。
そのころ私は洞雲寺の地区の世話役をしており、この馬頭観音堂が建立された前後のことを承知しており、思い出の深い観音堂である。こうしたご縁で馬頭観音堂の天井には私や親戚などの奉納した絵も飾られている。
当時の住職の馬頭観音再建に傾注された思いと英知、決断・実行力に感服したことをしのびつつお参りした。現住職が当山を継承し若い力で盛り立てておられる姿に感心している。
《 平成26年3月2日 浜松市西区 神ケ谷馬頭観音・初午祭 》
《 神ケ谷馬頭観音由緒 》
《 馬頭観音御詠歌 鬼瞰(きかん)・鬼が罰をくだすこと。》
《 馬頭観音堂の天井の奉納画 》
《 今年は午年、餌をもらう寸前の口元を狙って撮ってみた。 》
《 行列のできた大人気の馬乗り、お堂を一周するだけだが、5・6回乗ったと自慢していた子もいた。きっといい思い出になるだろう。 》