こころのふるさと(14) 子供の頃の思い出をつくる

6+1.  子供の頃の記憶がよみがえる

    今年は、中学、高校の同期生会の案内を受けた。数えで傘寿・80歳のお祝い会をやろういうことである。

    同期生会といつても、更に小学の同級会となると限定されてくるので設営が難しくなる。中学の集まりの後、同じ小学校・集落出身が集まる機会もあろう。小学は小学、中学は中学と話題は尽きないものである。

    それだけに会えば子供の頃の話になり、いろいろと聞いているうちに忘れていたことを思い出すものである。思い出すというより「記憶がよみがえる」と言ったはうが良いかもしれない。。

    私の家の真向かいに住んでいた、亡くなった同級生松村喜一郎君は、NHK国際局のチーフディレクターで活躍したが、子供の頃のことを克明に覚えていていた。

    平成12年羽合中学の同級会で羽合温泉の望湖楼で一泊し、久しぶりにじっくりと語り合ったのが最期で、訃報の知らせを受けて上京し、お別れした。

    子供の頃の記憶は、 環境や気質によって差があるようだ。海山川の大自然で遊んだことはよく覚えているのに対人関係のことはあまり記憶が薄い。感受性、性格などのの違いであろうか。

    B型で、どちらかたいうと大まかで物事にあまりこだわりがないところがあるので、そんなことが関係しているのだろうか。

 

2.  子供が使った物を残してやる親心

 時代が移り変わろうと、どの親も子供に残してやりたいと思うことは大体同じようなものだ。写真、ビデオ、思い出の品、子供がよく使っていたもの、作品などいろいろである。

 過日も小学校の発表会における親のカメラによる録画はすさまじいものがあった。自分自身の満足感よりも子を思う親心に心を打たれた。きっとこれらは将来の子供の成長と大人になった時に役立つであろう。

 特に、子供が使っていたものを一つでも二つでも残してやることは思い出につながるものである。

 

3.孫も使ったダイヤモンドゲ-ム

 私は来年3月は結婚50年・銀婚を迎える。できる限り子供たちの思い出となるものは残すようにはつとめてきた。写真アルバム、学習用品、作品等である。おもちゃなどは転勤の度に整理をしてきた。

 今年正月に孫たちが遊びに来た時、家内が子供たちが使った「ダイヤモンドゲ-ム」を置いていたら、今ばやりの機器を操作してゲ-ムに夢中になっていたが、ふと手を休めたら興味を示し、しばし「ダイヤモンドゲ-ム」に転向した。

 このゲ-ム盤の良いところは、親子3人でゲ-ムができることである。親子でいろいろ話をしながらゲ-ムをしたものである。家内もそうした思い出のあることを品物だけに何十年もほかんしてきたのであろうか。

 長い年月を経て、ゲ-ム盤は手垢で汚れ古びたものとなったが、親子のゲ-ムにずいぶんと使いお世話になったものである。こうしてさらに孫が使うとなると三世代のゲ-ム盤である。単純明快なゲ-ムで懐かしいものである。 単に子供だけではなく親子の絆、愛情につながるものを残してほしいものだと思った。

 

4.子供に残してやりたい一番大切なもの

  今の時代は新しい機器など日進月歩の勢いで出回ってきた。ポイ捨て時代でもある。新しい機器を買ってやってもすぐに更新の時代であ。子供の時代に応じて経験させることも大事なことであろう。写真・ビデオ等もあるに越したことはない。子供の作品なども良いものだ。しかし、その子が大人になった時残してやったものをどのように有効に使い切るかは本人の器量による。

 最終的には、一番残してやるべき最高のものは「親の愛情」に勝るものはないと思う。

 顧みて、私の場合は、生まれてから小学校を卒業するまで写真は3枚であった。

小学入学記念、5年の集合、6年卒業記念の写真であるが、親を恨んだこともなく、不幸だと思ったこともない。当時としてはそれが普通のことであった。

 むしろ自然を相手に思い切り遊び学ぶことをおおらかに見守ってくれたことに感謝している。これが健康な身体と心を養ってくれた「親の愛情」であった。

 自衛隊勤務35年余は我が国の防衛任務に励み、上司・同僚・部下に恵まれ充実した現役時代であった。退官後も自算会等で働き、定住して地域社会に多少でも役立つことができたように思っている。これらはすべて、子供の時のおおらかな「親の愛情」がその根底にあって培われてできたように思う。

 

 わが家に残ったダイヤモンドゲ-ム

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